徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

今日から「パーパス経営」だって? なんかモヤモヤするんだけど!

「パーパス経営」あるいは「パーパス・マネジメント」という言葉が流行っています。あえて「流行っている」と書いたのは、「ミッションやビジョンはもう古い」なんていう人がいるからです。

「ビジョナリー・カンパニー」…特に「②飛躍の法則」に感銘を受け、また最近では「両利きの経営」で、

 

さらに偉大な企業の印象を深くした私にとっても、昨日まで「ビジョンだ」「バリューだ」と言っていたのに、急に「これからはパーパス経営だ」という経営者に遭遇すると(しかも結構多い)、何とも言えないモヤモヤ感を抱かざるを得ません。

なにも私は「パーパス経営/パーパス・マネジメント」を否定しているわけではありませんよ。

私の理解では、ビジョンとは「我々は何を目指すのか」という将来にわたって普遍的な目標であるのに対し、パーパスは「今の社会に存在している価値はなにか/何のために存在しているのか」という自分自身への問いかけではないかと思うのです。つまり主体と時間軸が全く違う! 

パーパスの答えの先にビジョンが見えてくれば…、逆に言うと、ビジョンに向かっている途中でパーパスが実感できると…、こんな幸せなことはない。それなのにビジョンは横において、パーパスだ!と声高に叫ぶのが理解できません。

従業員一人一人は組織の中にあって「自分は役に立っているのか」を常に意識しているし、「役に立ちたい」と思って奮闘していますよ。最近は、自分の成長に重きを置いている人も多いし…。そんな従業員をバックアップやフォローアップするのが「パーパス・マネジメント」というなら、まだわかりますよ。

しかし…、

少し古いですが、米ギャラップ社が世界各国の企業を対象に実施した従業員のエンゲージメント調査によると、日本は「熱意あふれる社員」の割合が6%しかなく(米国は31%)、調査した139カ国中132位と最下位クラス。

しかしもっと深刻なのが「無気力な社員…周囲にも悪影響」の割合は23%もいること。

この問題の根本を解決しない限り、いくら「パーパス経営」を謳っても掛け声だけで終わるし、組織の生産性や価値は悪循環に陥るのは明らか。

もう、経営者は足元の問題に真摯に向き合ってほしい、流行りの言葉に飛びつくのはやめてほしい。従業員も気づいてほしい!…っていうか、従業員は既に気づいている!

(ま)

私のルーティーン…1週間の始まり

1週間を表現するとき、ふつうは「・月・火・水・木・金・土」でしょうか。一般的なカレンダーも、日曜日が左端にあって右端は土曜日の1週間=1行のものが多い。

一方、「週の始まりは?」と聞くと、たいていは「月曜日」という答えが返ってきます。月曜日に始まって金曜日まで仕事をして、週末(土曜、日曜)はお休み…という感じでしょうか。職業によって違いはあるのでしょうけど。

しかし私は〝せっかち〟なんです。

…というか、追い込まれて焦るのがイヤ! 

というわけで、フリーランスの私の場合は、

  • 金曜日(ことによると木曜日のことも):1週間の最後の仕事が終わると、ご多分に漏れずホッと一息…なんですが、気持ちが完全にOFFになる前に、翌週の予定と必要な準備を確認します。とはいっても大したものではありません。時には一杯やりながらToDoリストと優先順位をメモするのみ(メモしておかないと忘れるのでね)。
  • 土曜日日曜日(急なメールや電話が入らないので):ToDoに沿って翌週に必要な資料の作成やら、ミーティングやファシリテーションの準備をし、
  • 月曜日(ことによると火曜日)の最初の仕事の前に気持ちをONにして戦闘態勢に入る

という感じ。

土曜・日曜まで仕事するのか? 公私の境がないじゃないか!…と言われそうですが、時間の管理を自分の責任で行うフリーランスとしては、土日に限らず、早朝(朝9時前)や夜(18時以降)も、必要とあらば仕事をします。

一方で平日休むこともあるし、遊びに行くし、そんな日は完全OFF! 1週間の中だけでなく、1日の中でも何度もプチON/OFFすることもあります。

  • 土曜・日曜はオフィシャルな予定はないので、割とのんびり、ゆっくり、落ち着いて、俯瞰的に準備ができる。
  • チームでの打ち合わせも、資料やたたき台があれば効率的。修正や追記も余裕をもってできる。
  • 平日に飛び込み予定があっても、たいていは断らないで済む。

何かを相談されたとき、なにかを頼まれたとき、それに応えられるということは、自分で使える時間=つまり余裕があるということ。何か頼まれたら「忙しい」と言うより、「ああ、いいっすよ」「OK、大丈夫だよ」と言えた方がかっこいいからね。

だから私の場合、1週間の始まりは、言ってみたら〝金曜日の夕方〟かな?

(ま)

(あらためて)自分をコントロールしよう!

いっつも〝忙しい〟って言ってる人っていませんか。開口一番「忙しい…」やら「大変だぁ…」やら連発する人。

そんなに自分でPRしなくても、見てたらわかるわな…、オモテもウラも。

 

以前、「タイムマネジメントは、自分コントロール⁉」

mind-monologue.hatenablog.com

でも触れた「重要度×緊急度マトリクス」

冒頭の人は、常に[A]とか[B]に追いかけられて、振り回されているんでしょうか? 本当にそうなら、それはそれで凄まじい職場ですね。あるいは[D]なのに見栄を張っているとか? まぁ、たいていは[D]だからこその自己PRだと思いますがね。

また[C]を行う暇がないということは、[A][B]が途切れた瞬間、路頭に迷うことになりかねませんかね。

 

少し話は変わりますが、セキュリティ・インシデント(事件)やセキュリティ・アクシデント(事故)では、事前対策(事件や事故そのものが起きなくなるようにする予防策)事後対策(被害や影響を最小限に抑えるための対処)を考えた場合、事後対策の方が、顕在化したことがきっかけとなり(あるいは対処せざるを得なく)、金や人をかけやすくなりますよね。

しかし一般的には、

事前対策にかかる費用  事後対策にかかる費用

つまり、[C]の費用 < [A]の費用 であって、

事前対策の方が少ない費用と資源で、はるかに大きな効果を得ることができる…誰でも頭では理解している。しかし多くの場合、現実は、「今、やらないといけないのか?」 となり、具体化していけばいくほど…腰が引けてくるもの。

 

「重要度×緊急度マトリクス」でも同じことが言えると思うのです。

  • 事件や事故が起こったら(事後対策)=[A][B]が優先 …トーゼン!
  • 事件事故が起こらないように(事前対策)=[C]が優先 …これも当然!

事前対策=[C]の正解なんて誰も持ってはいない。だからどこかで「決断」するしかない! そして動かないといけないのだ。

 

秋にあちこちで落ち葉の山が築かれていました。

消防士A:

 火事に備えて常時出動体制をとり、

 火事が起こると真っ先に飛んで行って消火活動をした。

 街の人は「なんて仕事を良くする消防士なんだろう」と。

消防士B:

 落ち葉を集めて、別の場所で処分し、

 火事が起きないようにしていた。

 街の人「ヒマなんですね」と。

坂井優基著「機長の判断力」からの引用です。

さて、あなたはどちらが優秀な消防士だと思いますか? どちらが大事だと思いますか?

そして冒頭の〝忙しい人〟さん、せめて「忙しい/大変だ」って言うのを控えてみたらどうですか?

(ま)

 

おじ散歩friends in 真鶴 海と山の声が聞こえる

自然と歴史とビールをこよなく愛するおじさん達。

夏の終わりの真鶴へ、秋の風が気持ちいい絶好の散歩日和。真鶴駅(消毒駅でもあるらしい)…からスタート。

 

まずは真鶴港を目指し道なりに下っていくと、15分ほどで港が見えてきて。

海だぁ…と思ったら、はやくもトラップ! 港の手前にお寿司屋さん…しかも「真鶴港で捕れた新鮮な地魚」ってあるじゃないか。これはご相伴にあずからねば!

お店に入ると元気な女将さんが、「いらっしゃい、カウンターに並んで座りな!」って。4人とも地魚のにぎり「真鶴」と生ビールを注文。平日の昼間から生ビールは、た・ま・ら・ん!

都会ではあまりお目にかからないような極上の鮨。築地の寿司もおいしいけど、それとはまったく違う味わい。ご主人や若旦那との会話を楽しみながら舌鼓。

気風の良い女将さんと温厚なご主人の職人技とのみごとなハーモニーを堪能しました。

このままだと根が生えそうなので、そろそろ散歩しませんか。

しばらく行くと、頼朝が石橋山の合戦で平家に敗れたときに逃げ隠れた場所…「しとどの窟」が。こんな狭いところに隠れていたんだね。

「なぜ、ワシがこんな狭いところに隠れなければならんのだ!」 頼朝のあたり散らす声が聞こえるよう。

で、ここから安房の国へ逃れたらしい。そうまでして頼朝を支えたモチベーションは何だったんだろうか。

その先には貴船神社

ここ貴船神社貴船まつりは、塩竈みなと祭(宮城県塩竈(塩釜)市)、厳島神社広島県宮島町)の管絃祭、と合わせ、日本三船祭」の一つといわれているそう。勇壮な海の男たちの雄叫びが。

琴ヶ浜…きれいな海で優しい潮の声を聴きながら少しばかり磯遊びをして、

さぁ、ここからは山道。

大きなアカマツクスノキのトンネルを歩いていると、森の声…木立のあいだをそよぐ風のせせらぎ、落ち葉や枯れ枝を踏みしめる足音、はぁはぁ吐息、それらが相まって静かなミストとなって降ってくる。木漏れ日さえもハミングしているよう。

森林浴遊歩道を抜けて、ついに岬の先端。急な階段を下って三ツ石へ。

波の声、風の声、上空の鳶の声。この景色に吸い込まれそう。都会では絶対聞くことができない海と山の声に、いつまでも浸っていられる…そんなおじ散歩でした。

みんな、ありがとう。

新たな出会いと発見と、その先の自分を探して、つぎはどこ行く?

(ま)

「グループ」と「チーム」 振り返れば誰がいる?

会社のルール(規程や基準)は何のため? もちろん健全に会社運営を行うための必要最低限の〝決め事〟が必要だからですよね(世の中にはいろんな人がいますから…)。

さて問題は、「如何にルールを周知、浸透、遵守させるか」ですが、

現場にメリットがない管理は破たんする。やらせようとコントロールすればするほど、現場は離れていく。

だから管理部門の方々は大変ですよね。そんなときどうするかな?

 

【①自ら現場を回る】

「実行専任者」を決める

 ↓

◎:指名されたからには自ら汗をかく覚悟と強い責任感がモチベーション。「こうしよう、こうしたい」意志が働く

 ↓

◎:決めるのが早い

△:仕組みやツールは走りながら整備していこう

 ↓

いざ!

◎:リーダシップを発揮

✖:振り返ると〝一人ぽっち〟?

なーんてことも。

 

【②仕組み(ツール)を揃えよう】

「タスクフォース」を組織する(合議制)

 ↓

△:自部署のミッションを前提に意見がでる傾向

(総論OK、各論になればなるほど…▲)

 ↓

△:決めるのに時間がかかる

 ↓

◎:それでも、合意形成を図り、ツール類も揃えて準備万端

 ↓

いざ!

✖:推進する人がいない、仲間はたくさんいるはずなのに…

 

なぜ、こんなことが起こるんでしょうか?

答えは簡単…①も②も〝チームとして活動していない〟、あるいは〝チームの一員であるという認識がない〟からです。

「チーム」とは、仲間が思いを一つにして、一つのゴールに向かって進んでいける集団だと思っているので、

  • 目的/ゴールを共有していること
  • ゴールへ向かう思いを共有していること
  • 一人ではなく、仲間がいること

これにつきますよね。

「野球チーム」と言っても「野球グループ」とは言わない/「プロジェクトチーム」とは言っても「プロジェクトグループ」とは言わない。「アイドルグループ」とは言っても「アイドルチーム」とは言わないでしょ!

じゃぁ、会社組織は?

毎年(下手したら期中でも)恒例のように組織変更や異動があります。しかも「○○部△△課□□グループ」という名称が多くありませんか? 一丸となって目標達成に動かなければならない会社組織が「□□グループ」ってねぇ…!?

最近、「パーパス・マネジメント」という言葉をよく聞きますが、あらためて言われなくても、私も含め多くの人は「存在価値」を磨き、どこに所属していようがチームに貢献できる存在でありたいと思っているし、成功をチーム全員で喜び合いたいと思っているはず。

一人ひとりが自立できても、組織が自律できないのは、ひとえに〝チームマネジメントができていないから〟と感じますね。

(ま)

 

またまた愛すべきガネーシャ参上!

ビジョナリーカンパニーは「ZERO」だったけど、こちらは「0」

  • あらためて原点に戻って、自分の人生を見つめ直そうの「0」であり、
  • いい時も悪い時も、好きも嫌いも全て「素」の自分であるの「0」でもあり、
  • ガネーシャの教えは、結局は一つの真理に繋がる根源の「0」でもある。 深い。。。

 

先のブログ「過去は変えられない、未来は変えられる…ってホント?」

では、〝今〟が大事ということを書きましたが、ガネーシャも最初(第1巻)から同じことを言っている…「本気で変わろ思たら、意識を変えようとしてもあかん。意識やのうて〝具体的な何か〟を変えなあかん。具体的な何かをな!」と。

 

で、ガネーシャのすごいところは、

  • 課題は、誰にでもできることだけど、最初は「なんで?」「なんのために?」と思うようなこと。こう思ってしまった瞬間に普通の人は〝動かない〟もいろんな手段を使って実行させてしまうところ。
  • 実行してみたら、そこにはちゃんとした理由が後ろ盾になっていること。

そしてなによりも、

  • 最初から種明かしせずに、課題の真の理由を本人に気づかせようとすること

カウンセラーの基本は〝傾聴〟って言いますよね。まさにガネーシャの課題は、このカウンセリングを地で行っているようなもの。 もっともガネーシャの場合は傾聴ではなく、愛すべき身振り手振りの口振りの自画自賛やさぐれタイプですがね。

 

数あるガネーシャの言葉のなかで、ずっと心に残っていること…、

―――――

みんな 『夢』 ちゅう山の頂上に向かう道は一本やと思てる。でもほんまはちゃうねん。

それ以外にも山頂に至る道はたくさんあんねん。 一つの道を行ってみて違うてわかったら、他の道が見えてくる。それを繰り返しながら登っていけば、最後は必ず山頂にたどり着けるんやで。 

しかし人生ゆう道の途中には自分では選ぶことはできへん悲しい出来事が起きるやろ。そんとき「どうして自分だけが…」て思うわな。でも、その悲しみが自分にとってどんな意味を持つのか、自分だけの「人生の意味」を見出そうとしてるんや。どんな悲しい出来事も、そこに意味を見出すことで=それはもちろん、すぐできるわけやあらへん。長い時間がかかるかもわからん。でも最後には必ず、人生を喜びに満ちた、豊かなものにしてくれるんやで。

そんで、山頂に立った時初めてわかんねん。『自分がくる道これやったんやな』て。

『無駄な出来事なんて一つもなかった。この場所に来るために、全部必要なことやったんやな』てな。

―――――

心から笑って、時には泣きたいことがあっても、とことん人生を楽しもう!

 

PS.

「天職」って、横文字でなんていうか知ってるか? 〝Calling〟や。神様に呼ばれた=神様にその仕事をするように招かれた=いい言葉ですね。

(ま)

 

 

おじ散歩duet 京都の小さなお寺の達磨さん

評判の御朱印をいただきました。あぁ今でも御朱印帳を開くと、墨のいい香りがする。

清聚院は、京都の臨済宗の小さなお寺。なぜダルマ?…恐る恐るご住職に聞いてみたら、臨済宗禅宗の一つで、その始祖が達磨大師なんだと、気さくに教えてくれました。 そして、達磨大師が残したという四聖句も。

  1. 不立文字(ふりゅうもんじ)
  2. 教化別伝(きょうげべつでん)
  3. 直指人心(じきしにんしん)
  4. 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

これ共通しているのは、四の五の言わず〝やってみよ!〟ということだと感じました。

そしてこの教えは、芸事の世界でよく言われる守破離にも通じるのではないかな。

 

「ところで、こういう御朱印を始めたきっかけは?」

「あるとき阿弥陀如来さんを書いたんやけど、字が小さく空きスペースが残ったもんやから、しまった!…で、とっさに絵を描いたのが最初」

「ほんとですか、達磨大師笑ってるし、文字の書体も独特ですよね」

「習ったことないねん、我流やねん」

 

ちなみにご住職、本業の傍ら、襖画師としてビジネスを目指しているそう。

「どう思います」と聞かれたもんだから、

「お寺とか、料亭とか?」

「宗派が違うとなかなかなぁ…」

「キッチンカーならぬ襖絵カーは?」

「小さなお寺には駐車場がないんや…」

「ちょっとまって、達磨大師の教えは〝やってみよ〟なんですよね」

「そや、勇気と度胸や!」

なぁーんだ、もう答えだしてるじゃん。

もう一ついただいた阿弥陀如来御朱印には、最後の円の中に好きな言葉を書いてもらえます。私は「笑門福来」をお願いしました。いつもいつも笑って人生を送りたいからね。

帰り際、大きな練習用という紙に、太い筆を使って実演も。

大きな声で楽しいお話をありがとうございました。お土産にダルマの挿絵とダルマのストラップまでいただいて、およそ1時間、とても楽しい時間でした。

 

(おまけ)

清聚院からほど近く、平清盛の塚座敷童子で有名な立身出世の神様…若一神社へ。

  

清盛自ら植えたといわれる楠は、樹齢800年を優に超えるのだそう。ここの座敷童子は、そんな昔から、人々の出世をサポートしてくれているんですね。

ほら、今もそこの枝に座って微笑んでいますよ。

(ま)