以前から〝不思議な数字〟が気になっていて…、そんな数字に魅せられて、知らず操られて、知らず助けられているような気がしています。知っているようで知らない数字。なぜ今なのか自分でもわかりませんが、この際なので整理してみることにしました。とはいっても私の知識だけでは乏しいので、図書館で書籍をたくさん借りて、著者の先生方にも教えを請いながら…。
■ 素数
「素数」…、あぁ、なんと魅惑的な数字。理工系出身者で素数に魅力を感じる人は多いですよね。素数とはご存じの通り「1と自分自身以外では割り切れない1以外の自然数」。英語では「prime number」といって「あらゆる数の中で最も重要な数」とされているそうです。ではなぜ、それほど素数に魅了されるのでしょうか?
- 素数は他の数で割り切れないため、唯一無二の存在感がある…う~ん、確かにオンリーワン。
- 素数は無限に存在する…古代ギリシャ時代にユークリッドによって「素数は無限に存在する」ことが証明されているけど…、直感的にはホンマかって思う。ちなみに現在知られている最大の素数は約4102万桁らしい。想像の域をはるかに超えている。
- あらゆる偶数は2つの素数の和で表せる…にわかに信じがたいけど、世界は素数でできている?
- 素数はランダムに現れる…この〝気まぐれさ〟がヤンチャ坊主みたいでたまらない。
これらを想像してみるだけでも神秘的で、じわじわとロマンや知的好奇心を刺激してくるじゃないですか? しかも素数は私たちの身近に存在しています、例えば…、
- 暗号技術…大きな素数の組み合わせを利用したRSA暗号。知らないうちにネット上で使う自分のパスワードが守られているんです。
- 法事…1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌と、途中まで素数が続く…、なんで?
- 素数ゼミ…北米には13年周期と17年周期に羽化する蝉がいるらしい。過去には12年や15年周期の蝉がいたそうだけど、生存競争が激しい中で絶滅したんだって。
- 素数日…年と月日を組み合わせた8桁の数が素数になる日のこと。例えば、2025年1月1日⇒20150101は素数といったように。2025年で素数となる日付(2025XXXX)は22日、和暦(7XXXX)では33日あるそうです。ちなみに西暦と和暦の両方で素数となるのは、1月21日(20250121/70121)と11月29日(20251129/71129)の2回。素数日ってなんか特別な日のように感じませんか?
数学者の領域になると、双子素数予想、ゴールドバッハ予想、リーマン予想など、素数そのものを論理的に解明しよう、素数の規則性を見つけようなどが研究対象のようですが、少なくとも私は、「素」…ありのまま、飾り気がない、何も加えていない本質、そうした意味を持ちあわせる「素数」…、そのうえ謎も多い神秘の存在。そんな奥深さに単純に惹かれます。
■ 黄金比
どこかで聞いたことがあるような気がする「黄金比」…人間が最も美しいと感じる比率といわれ、ピラミッド、パルテノン神殿、パリ凱旋門、ミロのビーナス、モナ・リザ、また名刺、クレジットカード、トランプ、さらにはApple社やGoogle社のロゴなど、驚くほど様々な分野で目にすることができます。数学的に黄金比は[1:(1+√5) /2]と表され、縦と横の比率が[1:1.61803398874989484…(無限に続く)]なのだそうです。
不思議なのは、縦と横の比率が[1:1.618]の黄金比となっている「黄金長方形」に対し、黄金長方形から最大の正方形を除くと、残った長方形がまた黄金長方形の比率になり、そこからまた最大の正方形を除くと、永遠に黄金長方形ができていく。で、正方形の四分円を繋げていくと、「黄金螺旋」と呼ばれる渦巻き状の螺旋を描くことができます。この黄金螺旋は自然界でも、アンモナイトやオウムガイの殻、ひまわりの種、DNAの二重螺旋、台風の雲などが存在しているといわれています。人間が黄金比を発見する前から、自然界ではすでに黄金の造形美をつくり出していたと考えると、自然って神秘的で神々しくて尊いわけだ!
いやまてよ…。私たち人間が進化する過程で自然界の黄金の造形美と接することで、自然と身に着いた感性。それを後付けで数値化して導き出したものが黄金比だと考えると、視覚的・感性的に美しいと感じる心は太古から受け継がれたもの。いつまでも大切にしたいです。
ところで日本人は黄金比より「白銀比」を好むそうです。白銀比は、縦横の比率が[1:√2=1:1.414…]のことで、日本では古くから大工の間で神の比率とされ、法隆寺の五重塔や銀閣寺、伊勢神宮などの建築物の中に多く取り入れられていているそう。また白銀比は、ノートやコピー用紙(A版やB版)にも使われていたり、ドラえもん、アンパンマン、トトロなどの多くのキャラクターにも採用されているというからオドロキ! 黄金比が「華やかな美しさ」という印象なのに対し、白銀比は「落ち着いた美しさ」という印象と言われているからかもしれませんが、日本人の美の心が手を変え品を変え、脈々と受け継がれているのは嬉しくもあり誇らしくもあり。
■ 完全数
数字の中でも私が特に惹かれるのが「完全数」。昔からなぜか[28]という数字に不思議な力を感じていたのですが、映画「博士の愛した数式」で完全数という存在を知って、なるほど…と、より特別感を抱いたのでした。
完全数とは、自分自身を含まない約数の和が自分自身になる自然数のことで、
- 6=1+2+3
- 28=1+2+4+7+14
- 496=1+2+4+8+16+31+62+124+248
- 8128=1+2+4+8+16+32+64+127+254+508+1016+2032+4064
と続き、これまで52個が見つかっていて(52個しか見つかっていない!)、最近見つかった52番目の完全数の桁数はなんと約4972万桁と超巨大な数なのだそう…。
そんな完全数の興味深い特徴とは、
- 6以外の完全数は4の倍数となっている…つまり4で割り切れる。なんで?たまたま?
- 完全数は、連続した自然数の和で示される…ホンマや!
- 6=1+2+3
- 28=1+2+3+4+5+6+7
- 496=1+2+3+ ・・・・・ +31
- 8128=1+2+3+ ・・・・・ +127、・・・
- 見つかっている完全数は1の位が6か8…またまた、ホンマや!
- 完全数を素因数分解すると…あれっ、なんか法則がありそうに見えるけど…
- 6=2×3=2×(22-1)
- 28=22×7=22×(23-1)
- 496=24×31=24×(25-1)
- 8128=26×127=26×(27-1)、・・・
- 奇数の完全数は発見されていない(証明もされていない)…あるのか・ないのかすらわかっていない?
ちなみに最初の完全数が[6]なのは、神が6日間で世界を創造した(7日目は休息日)と関係があると言われているそう。また、12ヶ月、24時間、30日、60分、360度などはすべて6の倍数。また[28]は、原子核が特に安定する陽子と中性子の個数の合計であったり、成人の頭蓋骨を構成する骨の数や成人の歯の数に一致していたり、月の満ち欠けの周期にも関係しているそうです。何の巡り合わせなんでしょうか、偶然にしてはできすぎ!
このように完全数は、希少な存在であり、ベールに包まれた神秘的な存在。なによりも私に力を与えてくれる(気がする)特別な存在です。
今回教わった先生方の本の一部、ありがとうございました。
それにしても図書館には数学に関する専門書からわかりやすい解説書まで、様々な分野(代数学、幾何学、位相学、微分積分学、解析学、整数論、集合論、確率論、関数論などなど)にわたって、それはたくさんの本が所蔵されています。その数の多さにあらためて驚きました。ななめ読みや読み飛ばし、途中でギブアップも多々あるものの、こんなに数学の本を読んだのは初めて。いずれにしても興味をもって読むのと、読まされるのとでは、おもしろさは雲泥の差ですね…あたりまえだけど。
(PS.①)
昔の数学者って、天文学者でもあったり(アリストテレス、ユークリッド、プラトン、ガリレオ・ガリレイ、ニュートンなど)、哲学者でもあったり(タレス、ピタゴラス、パスカルなど)。それは古代ギリシャの世界観から、「宇宙は物理的な法則にしたがっている、さらにその法則は数学を⽤いて美しく簡潔に記述できる」ということを探求してきた歴史と深いかかわりがあるようです。
書籍の先生方から教わったことによると…、「mathematics(数学)」の語源は、ギリシャ語の「μάθημα(マテーマタ)」で、「学ぶべきもの」を意味し算術/音楽/幾何学/天文学の4つの科目で構成されていた。ギリシャでは宇宙の根本原理は「ムジカ(ミュージック)」、その調和は「ハルモニア(ハーモニー)」であり、「宇宙は美しい『天球の音楽』に満ちているはずだ」だと考えられていたそう。なんてロマンティックな考え方! そして「科目は自由意志によって学ぶべきものであって、決して強要されるようなことがあってはならない」との考えから、いつしか「μάθημα(マテーマタ)」は、「自由意志によって獲得されるべき諸技術」を意味する「アルテス・リベラレス」と呼ばれるようになった…と。
ITやAIが発展している現代社会において、数学が好きでも苦手でも、理工系でも文系でも、数学は避けては通れない状況に。だからなおさら「強制されるもの」ではなく、「アルテス・リベラレス=リベラル・アーツ」であってほしいと願います。
先の多くの先生方も、口々に「数学は美しい」「数学のワクワク感に触れてほしい」「数学の不思議さを学びながら一緒に悩んでほしい」「数学の扉を開けてほしい」とおっしゃっていました。
(PS.②)
中高の数学の授業といえば、受験に向け、ひたすら丸暗記した定石をあてはめて答えを導き出すことでした。しかし数学は単に早く答えを導き出せばよい…という学問ではないと思うのです。「問題」と「答え」の間には、たくさんの道(方法、考え方)があります。いかに〝たくさんの道〟を思いつくことができるか、その中からどうやって最適な道を選択するか、あえて遠回りをしてみるのもアリ、そして論理的に組み立てることができるかを考えることが大切なのです。その意味で数学は、数学の枠を超えて〝論理的な思考能力や洞察力を鍛える訓練〟を行っているようなものであると思っています。
そんなことを踏まえて…問題です。
「机の上にミカンがひとつあります。ひとつくわえると、机の上のミカンはいくつになるでしょう?」
- ひとつ〝加える〟と? 机の上のミカンはふたつになり…⇒∴[1+1=2]正解!
- ひとつ〝咥える〟と? 机の上にミカンはなくなり…⇒∴[1-1=0]正解!
頭を柔らかくして考えること…、たまには、こんなトンチがあってもいいじゃないですか?
(おわり)