徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

数字の不思議な世界へ行ってみた、数学と論理的思考の入り口へ…「なぜ私たちは数学を学ぶのか」

以前から〝不思議な数字〟が気になっていて…、そんな数字に魅せられて、知らず操られて、知らず助けられているような気がしています。知っているようで知らない数字。なぜ今なのか自分でもわかりませんが、この際なので整理してみることにしました。とはいっても私の知識だけでは乏しいので、図書館で書籍をたくさん借りて、著者の先生方にも教えを請いながら…。

素数

素数…、あぁ、なんと魅惑的な数字。理工系出身者で素数に魅力を感じる人は多いですよね。素数とはご存じの通り「1と自分自身以外では割り切れない1以外の自然数。英語では「prime number」といって「あらゆる数の中で最も重要な数」とされているそうです。ではなぜ、それほど素数に魅了されるのでしょうか?

  1. 素数は他の数で割り切れないため、唯一無二の存在感がある…う~ん、確かにオンリーワン。
  2. 素数は無限に存在する古代ギリシャ時代にユークリッドによって「素数は無限に存在する」ことが証明されているけど…、直感的にはホンマかって思う。ちなみに現在知られている最大の素数約4102万桁らしい。想像の域をはるかに超えている。
  3. あらゆる偶数は2つの素数の和で表せる…にわかに信じがたいけど、世界は素数でできている?
  4. 素数はランダムに現れる…この〝気まぐれさ〟がヤンチャ坊主みたいでたまらない。

これらを想像してみるだけでも神秘的で、じわじわとロマンや知的好奇心を刺激してくるじゃないですか? しかも素数は私たちの身近に存在しています、例えば…、

  • 暗号技術…大きな素数の組み合わせを利用したRSA暗号。知らないうちにネット上で使う自分のパスワードが守られているんです。
  • 法事…1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌と、途中まで素数が続く…、なんで?
  • 素数ゼミ…北米には13年周期と17年周期に羽化する蝉がいるらしい。過去には12年や15年周期の蝉がいたそうだけど、生存競争が激しい中で絶滅したんだって。
  • 素数…年と月日を組み合わせた8桁の数が素数になる日のこと。例えば、2025年1月1日⇒20150101は素数といったように。2025年で素数となる日付(2025XXXX)は22日、和暦(7XXXX)では33日あるそうです。ちなみに西暦と和暦の両方で素数となるのは、1月21日(20250121/70121)と11月29日(20251129/71129)の2回。素数日ってなんか特別な日のように感じませんか?

数学者の領域になると、双子素数予想、ゴールドバッハ予想リーマン予想など、素数そのものを論理的に解明しよう、素数の規則性を見つけようなどが研究対象のようですが、少なくとも私は「素」…ありのまま、飾り気がない、何も加えていない本質、そうした意味を持ちあわせる「素数」…、そのうえ謎も多い神秘の存在。そんな奥深さに単純に惹かれます。

黄金比

どこかで聞いたことがあるような気がする黄金比人間が最も美しいと感じる比率といわれ、ピラミッド、パルテノン神殿、パリ凱旋門ミロのビーナスモナ・リザ、また名刺、クレジットカード、トランプ、さらにはApple社やGoogle社のロゴなど、驚くほど様々な分野で目にすることができます。数学的に黄金比は[1:(1+√5) /2]と表され、縦と横の比率が[1:1.61803398874989484…(無限に続く)]なのだそうです。

 

不思議なのは、縦と横の比率が[1:1.618]の黄金比となっている「黄金長方形」に対し、黄金長方形から最大の正方形を除くと、残った長方形がまた黄金長方形の比率になり、そこからまた最大の正方形を除くと、永遠に黄金長方形ができていく。で、正方形の四分円を繋げていくと、「黄金螺旋」と呼ばれる渦巻き状の螺旋を描くことができます。この黄金螺旋は自然界でも、アンモナイトやオウムガイの殻、ひまわりの種、DNAの二重螺旋、台風の雲などが存在しているといわれています。人間が黄金比を発見する前から、自然界ではすでに黄金の造形美をつくり出していたと考えると、自然って神秘的で神々しくて尊いわけだ

いやまてよ…。私たち人間が進化する過程で自然界の黄金の造形美と接することで、自然と身に着いた感性。それを後付けで数値化して導き出したものが黄金比だと考えると、視覚的・感性的に美しいと感じる心は太古から受け継がれたもの。いつまでも大切にしたいです。

ところで日本人は黄金比より白銀比を好むそうです。白銀比は、縦横の比率が[1:√2=1:1.414…]のことで、日本では古くから大工の間で神の比率とされ、法隆寺五重塔銀閣寺、伊勢神宮などの建築物の中に多く取り入れられていているそう。また白銀比は、ノートやコピー用紙(A版やB版)にも使われていたり、ドラえもんアンパンマン、トトロなどの多くのキャラクターにも採用されているというからオドロキ! 黄金比が「華やかな美しさ」という印象なのに対し、白銀比は「落ち着いた美しさ」という印象と言われているからかもしれませんが、日本人の美の心が手を変え品を変え、脈々と受け継がれているのは嬉しくもあり誇らしくもあり

完全数

数字の中でも私が特に惹かれるのが完全数。昔からなぜか[28]という数字に不思議な力を感じていたのですが、映画「博士の愛した数式」で完全数という存在を知って、なるほど…と、より特別感を抱いたのでした。

完全数とは、自分自身を含まない約数の和が自分自身になる自然数のことで、

  • 6=1+2+3
  • 28=1+2+4+7+14
  • 496=1+2+4+8+16+31+62+124+248
  • 8128=1+2+4+8+16+32+64+127+254+508+1016+2032+4064

と続き、これまで52個が見つかっていて(52個しか見つかっていない!)、最近見つかった52番目の完全数の桁数はなんと約4972万桁と超巨大な数なのだそう…。

そんな完全数の興味深い特徴とは、

  1. 6以外の完全数は4の倍数となっている…つまり4で割り切れる。なんで?たまたま?
  2. 完全数は、連続した自然数の和で示される…ホンマや!
    • 6=1+2+3
    • 28=1+2+3+4+5+6+7
    • 496=1+2+3+ ・・・・・ +31
    • 8128=1+2+3+ ・・・・・ +127、・・・
  3. 見つかっている完全数は1の位が6か8…またまた、ホンマや!
  4. 完全数素因数分解すると…あれっ、なんか法則がありそうに見えるけど…
    • 6=2×3=2×(22-1)
    • 2822×7=22×(23-1)
    • 49624×31=24×(25-1)
    • 812826×127=26×(27-1)、・・・
  5. 奇数の完全数は発見されていない(証明もされていない)…あるのか・ないのかすらわかっていない?

ちなみに最初の完全数[6]なのは、神が6日間で世界を創造した(7日目は休息日)と関係があると言われているそう。また、12ヶ月、24時間、30日、60分、360度などはすべて6の倍数。また[28]は、原子核が特に安定する陽子と中性子の個数の合計であったり、成人の頭蓋骨を構成する骨の数成人の歯の数に一致していたり、月の満ち欠けの周期にも関係しているそうです。何の巡り合わせなんでしょうか、偶然にしてはできすぎ!

このよう完全数は、希少な存在であり、ベールに包まれた神秘的な存在。なによりも私に力を与えてくれる(気がする)特別な存在です。

 

今回教わった先生方の本の一部、ありがとうございました。

それにしても図書館には数学に関する専門書からわかりやすい解説書まで、様々な分野(代数学幾何学、位相学、微分積分学解析学整数論集合論、確率論、関数論などなど)にわたって、それはたくさんの本が所蔵されています。その数の多さにあらためて驚きました。ななめ読みや読み飛ばし、途中でギブアップも多々あるものの、こんなに数学の本を読んだのは初めて。いずれにしても興味をもって読むのと、読まされるのとでは、おもしろさは雲泥の差ですね…あたりまえだけど。

 

(PS.①)

昔の数学者って、天文学者でもあったり(アリストテレスユークリッドプラトンガリレオ・ガリレイニュートンなど)、哲学者でもあったり(タレスピタゴラスパスカルなど)。それは古代ギリシャの世界観から「宇宙は物理的な法則にしたがっている、さらにその法則は数学を⽤いて美しく簡潔に記述できる」ということを探求してきた歴史と深いかかわりがあるようです。

書籍の先生方から教わったことによると…、「mathematics(数学)」の語源は、ギリシャ語の「μάθημα(マテーマタ)」で、「学ぶべきもの」を意味し算術/音楽/幾何学天文学の4つの科目で構成されていた。ギリシャでは宇宙の根本原理は「ムジカ(ミュージック)」、その調和は「ハルモニア(ハーモニー)」であり、「宇宙は美しい『天球の音楽』に満ちているはずだ」だと考えられていたそう。なんてロマンティックな考え方! そして「科目は自由意志によって学ぶべきものであって、決して強要されるようなことがあってはならない」との考えから、いつしか「μάθημα(マテーマタ)」は、「自由意志によって獲得されるべき諸技術」を意味する「アルテス・リベラレス」と呼ばれるようになった…と。

ITやAIが発展している現代社会において、数学が好きでも苦手でも、理工系でも文系でも、数学は避けては通れない状況に。だからなおさら「強制されるもの」ではなく、「アルテス・リベラレス=リベラル・アーツ」であってほしいと願います。

先の多くの先生方も、口々に「数学は美しい」「数学のワクワク感に触れてほしい」「数学の不思議さを学びながら一緒に悩んでほしい」「数学の扉を開けてほしい」とおっしゃっていました。

 

(PS.②)

中高の数学の授業といえば、受験に向け、ひたすら丸暗記した定石をあてはめて答えを導き出すことでした。しかし数学は単に早く答えを導き出せばよい…という学問ではないと思うのです。「問題」と「答え」の間には、たくさんの道(方法、考え方)があります。いかに〝たくさんの道〟を思いつくことができるか、その中からどうやって最適な道を選択するか、あえて遠回りをしてみるのもアリ、そして論理的に組み立てることができるかを考えることが大切なのです。その意味で数学は、数学の枠を超えて〝論理的な思考能力や洞察力を鍛える訓練〟を行っているようなものであると思っています。

そんなことを踏まえて…問題です。

「机の上にミカンがひとつあります。ひとつくわえると、机の上のミカンはいくつになるでしょう?」

  • ひとつ〝加える〟と? 机の上のミカンはふたつになり…⇒∴[1+1=2]正解!
  • ひとつ〝咥える〟と? 机の上にミカンはなくなり…⇒∴[1-1=0]正解!

頭を柔らかくして考えること…、たまには、こんなトンチがあってもいいじゃないですか?

(おわり)

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

みちくさ探検隊family abroad in Aegean Sea:第3幕…徒然雑記でエピローグ

憧れのエーゲ海クルーズ。「所変われば品変わる」、最後はこの旅で感じたことを徒然と…。

第1幕 Prologue

 成田(6/2・17:40:EY801)-アブダビ乗継(EY187)-アテネ(6/3・6:10)

 6/3:ギリシャ議事堂、アテネ国立庭園、ゼウス神殿、アクロポリスパルテノン神殿

第2幕 Main Event

 6/4出航 ⇒ 6/5:ミコノス島…修道院、ミコノスタウン

 6/6:古代エフェソス/クシャダス(トルコ)…聖母マリアの家、シリンジェ村、クシャダス市街

 6/7:ロードス島…フィレモリス修道院、騎士団長の宮殿、ロドスシティ

 6/8:サントリーニ島…イア村(ブルードーム)⇒ 6/9下船

第3幕 Epilogue

 アテネ(6/9・13:55:EY190)-アブダビ乗継(EY800)-成田(6/10・13:00)

 余韻に浸りつつ徒然回想録

 

■ 挨拶くらい

挨拶くらい現地ギリシャ語でと思い、耳コピで覚えたつもりでしたが…、

  • ありがとう…Σας ευχαριστώ(Sas efcharistó)
  • こんにちは…Γειά σου(Geiá sou)
  • ごめんなさい…Συγνώμη(Sygnómi)

うまく発音できていないのか、アクセントがおかしいのか、ただ笑われるだけ。逆に日本語で「ガンバッテ」と励まされる始末、情けないったら…😭

一方、アテネ空港のインフォメーションカウンターの人、英語がわからなかった。すごい嫌な顔された。ウソでしょ! そりゃこっちだってカタコトだけど…。

■ 生きた歴史のお勉強

古代ギリシャ文明聖ヨハネ騎士団など、歴史の知識があればもっと楽しめたはず。遺跡を観てももっと感慨深かったはず。哲学の基礎を築いた3大哲学者のソクラテスプラトンアリストテレスの師弟もしかり。こうやって足を運んで触れて知ることこそ、実践的な歴史の授業。今からでも遅くはない。それにしても教室でひたすら年号を覚えさせられたのが恨めしい。

■ ドキドキ…メトロ

アテネのホテルからクルーズ船が出航するピレウス港まで、せっかくなのでメトロに挑戦。Syntagma駅は広くて綺麗。怖い雰囲気まったくなし。券売機の前で深呼吸して英語を選び、

  • 画面①:「Top up」や「subsidy」など意味が分からないけど、普通はこれだろと「Buy travel Product」を選択。
  • 画面②:Airportなんちゃらがたくさん並んでいるけど、行きたいのはAirportじゃなくてPortなので「Athens Area」を選択。
  • 画面③:驚いたのはここ。「24Hours」「5Days」「2Trip」「5Trip」「10+1Trip」「90Minutes」から選ぶんだけど、距離に関係なく時間制なんだね。港に行くだけなので一番短い「90Minutes」を選択。
  • 画面④:人数を入力して「Cash」か「Card」を選択。90分間乗り降り自由で1人=€1.2…やすっ!

Syntagma駅からPiraeus駅までは20分ほど、ドキドキ・ワクワクもアッという間。

ピレウス港は広大で、Piraeus駅から港のターミナルAまで徒歩20分ほど。駅のインフォメーションで聞いたら「それならバスに乗りな」と、「そのチケットで乗れるからさ」とも。教えてもらった系統のバスに乗り込み、ドキドキしながらGoogle Mapsをみて、「おっ、近づいてる」なんて言いながら、なんか得した気分。短い時間でしたが、とても快適で楽しい移動でした。

「24Hours」「5Days」に似たものは日本でもあるけれど、「90Minutes」でメトロ、バス、トロリーバス、トラムが乗り放題だなんて…。さらに「90Minutes」を2回分、5回分なんて、日本にはない良い仕組み。ところで「10+1Trip」ってなんだ?

■ ものは試しと…

左はアルテミス神殿でパワーチャージのポーズをしていると、ガイドが〝ギリシャ英語〟で「食ってみ、うまいよ」って。うっ、白くて芋虫みたい、一瞬ビビったけどモノは試し。食べてみたら瑞々しくて甘い、ミルクキャラメルみたいな感じ。桑の実の一種らしい。ガイドが指さす木を見ると…白い芋虫がいっぱい😓。

右は、立ち寄った絨毯の店で、「飲み物サービスするよ」「Tea, Water or Rakı?」と言われたので、わからないけど好奇心から「Last one」って言ったら、透明な液体をくれた。香りはほんのり甘い、少し舐めると、うわっキッツゥ! 酒やん、しかも結構アルコール度数高め。そしたらすかさず水を注いでくれて、あら不思議…あっという間に白濁に。現地のおっさん達が大声でいろいろ言ってくるので、ギリシャ英語ガイドにヘルプお願いしたら、これは「ライオンのミルクなのだ」だの、「トルコのバイアグラなんだぜ」だの…結局なんなん?何だったんだろう?

■ 美味しかった

魚介類や肉、野菜の素材を活かしたシンプルな味わい。オリーブオイルとハーブの香りが特徴的で、どれも美味しい。生野菜も食べたくて「ギリシャサラダ」をオーダーしたら、葉っぱはなくて、トマト、キュウリ、パプリカ、タマネギとチーズのぶつ切りに、ハーブの香りの酸っぱくないドレッシング。まぁ素朴!

気温はそれなりだけど湿度が低いせいか、オープンカフェを流れる風が気持ちいい。港のタベルナでは店の兄さんが「今朝採ってきた魚だよん」と勧めてくれたり、別のタベルナでは「どこから来た?日本?ビール飲む?タイムサービスでいいよ…ナイショでな」なんて言ってくれたり、みんな元気で親切で明るくて、食事は絶対に地元の「タベルナ」がおすすめ。英語が通じなくてもなんとかなるさ。

一方、クルーズ船の中には、フレンチやイタリアンなど複数のレストランと24時間営業のダイニングルームなどが無料で利用できて贅沢三昧。こりゃ太る!

■ トイレ事情…困った

  1. 公衆トイレの男性用便器の位置が高い! 私は身長172㎝ですが少し背伸びしないと危うい。ギリシャ人男性ってみんなそんなに背が高かったっけ? それとも…みんな常に〝元気〟なのか?
  2. アテネのホテルにもクルーズ船にも温水洗浄便座なんてものはついておらず、少し前の当たり前に苦労しながらも、昔を懐かしく思い出しました。日本ってすごいね。

エーゲ海の日の出

日の出は午前6時頃、日の入は午後9時頃。朝、小さな赤い点が見えたと思ったら、あっというまにポンっと顔を出し、みるみる海に朝日の道が…。島影あるいは水平線から登る日の出は神々しい。

■ 「PRIVACY PLEASE」

日本のホテルでよく見かける「Don'T Disturb」の札。クルーズ船では「PRIVACY PLEASE」と。ホテル業界の慣用表現なのかもしれないけど、「邪魔するな、起こすな」より、「そっとしといてね」というニュアンスが感じられて、これだけでも優しさが伝わってきます。

■ 日本に戻ってきて

日本に帰ってきて、成田から東京駅に着いてまず感じたのは〝殺気〟🤬! なんかイライラしているというか、ピリピリしているというか、とんがっているというか…。多くの人が難しい顔して、無言で足早に歩いていく。俺に近づくな、邪魔だっ…みたいなオーラを発しながら。アテネではスリに遭いかけたけど、そういう〝警戒〟とは明らかに違う。都会に人が集まり過ぎているせいなのか、自分さえよければ…という余裕のなさなのか? 

気づかないうちに自分もこうだったんだろうな、そして気づかないうちに、またこうなっていくんだろうな…、ゾッとする。みんなもっと穏やかに、ゆっくり過ごそうよ。

 

まだまだ書くべきことがたくさんあるような気がしますが、いったんエーゲ海劇場を締めることにします。

とにかく、実際に行って、観て、触れて、空気を吸って、感じて、初めて知ることばかり‼️ それでも表面をサラッと撫でたにすぎないのだろうけど…。そしてあらためて日本というものを実感しました‼️

(おわり)

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

 

みちくさ探検隊family abroad in Aegean Sea:第2幕…さぁ憧れのエーゲ海クルーズ

いよいよ憧れのエーゲ海クルーズへ。毎日夕方に出港して翌朝次の目的地に着くスケジュール。

第1幕 Prologue

 成田(6/2・17:40:EY801)-アブダビ乗継(EY187)-アテネ(6/3・6:10)

 6/3:ギリシャ議事堂、アテネ国立庭園、ゼウス神殿、アクロポリスパルテノン神殿

第2幕 Main Event

 6/4出航 ⇒ 6/5:ミコノス島…修道院、ミコノスタウン

 6/6:古代エフェソス/クシャダス(トルコ)…聖母マリアの家、シリンジェ村、クシャダス市街

 6/7ロードス島…フィレモリス修道院、騎士団長の宮殿、ロドスシティ

 6/8サントリーニ島…イア村(ブルードーム)⇒ 6/9下船

第3幕 Epilogue

 アテネ(6/9・13:55:EY190)-アブダビ乗継(EY800)-成田(6/10・13:00)

 余韻に浸りつつ徒然回想録

■ オーシャニア・マリーナ号

とにかくデカイ、写真では伝わらないほどデカイ! まさに洋上の豪華ホテル、これぞクルーズ船。驚いたのは大きさだけではなく、乗客定員1,250名に対しクルーが800名も。これだけでもサービスの高さがわかります。クルーは多国籍、みんなこの仕事が大好きみたい。

https://jp.oceaniacruises.com/ships/marina

港でチェクイン(空港よりも簡素な感じ)するとカードを渡されます。このカードが客室のルームキーであり、船内の決裁カード(食事は複数あるレストラン含めいつでもノーチャージなので、アルコール以外ほとんど使うことはなかったけど…)であり、IDカードでもあるのだそう。

そしていよいよ出航! 海が広い、海が青い、空も大きい!

■ ミコノス島

エーゲ海と言えばサントリーニ島のブルードームを思い浮かべる人も多いと思うけど、私にとっては、ここミコノス。随分昔にジグソーパズルでつくって以来、この景色に魅了されてきました。そして今、自分の足で立っている…! 街全体が白い。

迷路のようなミコノスタウンの細い路地には、あちこちで満開のブーゲンビリアが観光客を迎えてくれる。軒を連ねる店の上は(たぶん)住居。ここは観光地でありながら、生活の場でもあるんだね。そういえばガイドが、「ミコノスの人口は冬は約3,000人、夏は約30,000人になる」と言っていた。二重生活している人が多いのかもしれません。

歳甲斐もなく海岸で足をパシャパシャしたくなって…。なんて気持ちいい、直接エーゲ海に触れていると思うとなおさら気分は高揚。あぁ、いつまでもこうしていたい!

■ クシャダス(トルコ)

少なくともギリシャからトルコに入国するのだから入国審査があると思いきや…えっ、なにもなし?いいの?

さて、ここは山間の小さなシリンジェ村。こんな静かな村がなぜ観光地になったのだろう? 斜面に家々が建ち並ぶ景観、素朴でひなびた雰囲気、アーケドの市場など、トルコの古き良き田舎の雰囲気が満喫できるのですが、一方でそっとしておいてあげたいという気持ちも…。

クシャダス市街の港に戻って遅めのランチは、せっかくトルコに来たんだから本場のケバブでしょ! 肉は柔らかく、素朴で美味しい。店の兄さんが「今朝港で採ってきた魚だよん」と見せてくれたので、適当に見繕ってもらって、蒸し焼きに。ビールが止まらない!

ロードス島

まずフィレモリス修道院へ。ガイドによると、「ロードス騎士団によって建てられたもの。今は教会として残っていて、ギリシャ正教カトリック両方の信者がお参りしていた」って? 分裂した宗派が?そんなことってある?

ここには孔雀がたくさん放し飼いされていて、あちこちで甲高い鳴き声を放っていました。

さぁ、歴代の聖ヨハネ騎士団の団長が暮らしたという騎士団長の宮殿へ。ここは広くて壮観! およそ1000年前に活躍した騎士団の姿を今に伝える世界遺産。床には古代モザイク、内部には西洋家具のコレクションの数々が。当時の優雅は生活がうかがい知れます。 ガイドによると、「その後歴史に翻弄されながらも、その残党は今でも修道団として活動を続けている」と。

宮殿を出て石畳の騎士団通りをくだっていくと、城壁の内側なのに賑やかなショップ&レストラン街が。ここも世界遺産の1ページか。

圧巻の城壁が永遠と続く…。

サントリーニ島

写真で見たままの景色がすぐそこに! これぞサントリーニ。斜面にへばりつくように建つ白い建物が並ぶ美しい街並みは、観ていて飽きることのない景観。ここは「Oia」と書いて「イア」と呼ぶ村だとガイドが教えてくれた。

サントリーニ島は正式にはフィラ島といい、紀元前の大噴火で元は円形だった島の中央が水没してカルデラとなった。サントリーニ島(フィラ島)が三日月形なのは外輪山として残ったから。サントリーニはこのときうまれた5つの島の総称だそう。クルーズ船からテンダーボートで近づくにつれ迫りくる断崖絶壁は、そういうことだったのか⁉ 今にも崩れそうなのに、よくぞこんなところに街を、港を、街と港をつなぐ道路をつくったものだ! 穏やかなブルードームからは想像もつかない荒々しい自然のギャップ!

午前中は上陸して遺跡や絶景ポイント散策、ランチ後はクルーズ船に戻ってまったり。遊んで食べて飲んで感動して…、あっという間の5泊6日のクルーズ。

実際に行って、観て、触れて、空気を吸って、感じて、初めて知ることばかり‼️ 体感することが何より大切…あらためて実感‼️

(つづく)

 

ランキング参加中
ライフスタイル

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

みちくさ探検隊family abroad in Aegean Sea:第1幕…アテネにてプロローグ

憧れのエーゲ海クルーズ。夢のような時間。1回では書ききれないので、何回かに分けて振り返ることにします。せっかくアテネに行くんだったらアクロポリスは外せない! というわけで1日早く向かうことにしました。

第1幕 Prologue

 成田(6/2・17:40:EY801)-アブダビ乗継(EY187)-アテネ(6/3・6:10)

 6/3ギリシャ議事堂、アテネ国立庭園、ゼウス神殿、アクロポリスパルテノン神殿

第2幕 Main Event

 6/4出航 ⇒ 6/5:ミコノス島…修道院、ミコノスタウン

 6/6:古代エフェソス/クシャダス(トルコ)…聖母マリアの家、シリンジェ村、クシャダス市街

 6/7:ロードス島…フィレモリス修道院、騎士団長の宮殿、ロドスシティ

 6/8:サントリーニ島…イア村(ブルードーム)⇒ 6/9下船

第3幕 Epilogue

 アテネ(6/9・13:55:EY190)-アブダビ乗継(EY800)-成田(6/10・13:00)

 余韻に浸りつつ徒然回想録

 

アテネの第一印象

もちろん初めてのアテネ。空港からバスで中心地Syntagmaへ。ホテルにチェックインし、朝日を浴びるギリシャ議会議事堂無名戦士の墓とそれを見守る衛兵アテネ国立庭園からゼウス神殿。ゆっくり歩いているだけでも、ローマ風呂跡ハドリアヌス凱旋門など、古代ギリシャ文明の遺跡があちらこちらに。

そして街のいたるところから見えるアクロポリス、その中心のパルテノン神殿は、今でもアテネの象徴として市民を見守っているかのよう。

街並みは整然としていて、幹線道路には車が溢れているけど、一歩、プラカ地区の路地に入ると、お土産屋さんや魅力的なオープンカフェが軒を連ね、長い歴史と現在の活気が共存しているよう。そのせいなのか、みんな穏やかな顔をしていて、明るく親切。ほとんどの店では英語が通じるものの、つたない英語を一生懸命聞きとろうとしてくれたり、ゆっくり丁寧に話してくれたり、とても助かりました。 日差しは強いけど湿度が低いせいかオープンカフェを流れる風が気持ちいい。タコの炭火焼きやシーバス(スズキ)のグリルがビールにあうあう!

アクロポリスパルテノン神殿

広大な遺跡の上に建てられたアクロポリス美術館…、貴重な遺跡の上にハコモノつくる発想がぶっ飛んでる。

さて事前にネットで購入・予約していたチケット(€30)で、いよいよアクロポリスへ入場!

そこだけ盛り上がったアクロポリスの丘の上に建設されたパルテノン神殿=オリンポスの神々を祭る神殿。今から約2500年も前に、一体どうやって石を運び、積み上げ、建設したのだろう。思わず悠久の歴史と当時の技術力の高さに思いを馳せてしまう。偉大な神のなせる技なのか。2500年前の日本は、ようやく縄文時代から弥生時代へと移行する時期だというのに。

最古の劇場と言われるディオニソス劇場、さらにイロド・アティコス音楽堂(現役らしい)あたりまで来ると、アテネ市街地が一望。

登っていくにつれ、大きな石柱の前門が迫ってきて…、いよいよパルテノン神殿とご対面かぁ! 屋根はほんの一部しか残っていないけど、なんと壮観。柱をよく見ると継ぎ足した跡が。ダルマ落としみたいに短い円柱を積み上げたのだろうか? だとすれば、どうして真っ直ぐに積み上げることができた? 円柱と円柱の接合はどうなってる? その上に石の屋根まであったなんて…。6体の女神像が屋根を支えるカリアティディス柱廊に聞いても、黙って見つめ返されるだけでした。

ディナーした街のレストランで、絶景ポイントを教えてくれました。ビルの屋上のレストランでライトアップされたアクロポリスを眺めながらワインなんて、なんて贅沢❗️なんて至福‼️

長い1日もようやく終了。神々からパワーをもらい、さぁ、明日からはいよいよエーゲ海クルーズ。

(おまけ)

この記事を投稿したその日の夜、NHK-BSで「 究極ガイド 2時間でまわるパルテノン神殿 」ビックリ‼️つい1週間前に歩いたところだよー。

(つづく)

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

日常の生活でも「受援力」が重要…って言われてもなぁ⁉

最近、「受援力」という言葉を耳にしました。もともとは防災用語として使われていたこの言葉。

阪神淡路大震災(1995年)を経験した一人として、「日本政府は外国からの支援を断った」とか、「多くのボランティアが被災地支援に駆けつけたが、受け入れを拒否するケースも見られた」という報道には、「非常時になにを迷うことがある?」と感じたものでした。その後、東日本大震災(2011年)でも似たような事態が起こり、能登半島地震(2024年)のときも、(改善されたとはいえ)また似たような状況に…!

行政機能の喪失により受入態勢まで手が回らなかったのか、指示命令系統の構築など危機管理態勢が脆弱なのか、はたまた警戒心なのか引っ込み思案なのかはわかりませんが、日本政府や自治体は、相変わらず〝外部からの支援を受け入れること/外部からの支援を活用すること〟が苦手で、受領力が低い、あるいは欠けているということなのでしょう。

 

そして近年では「組織」だけでなく「個人」にも、他人に助けを求め/その助けを受け入れる「受援力」という〝力〟が大切なんだそう。老々介護やヤングケアラー、シングルマザーやシングルファザーの方々、DVや虐待など、第三者の支援を必要とするケースは確かにあると思います。うーん…しかし、支援する側ではなくて、支援を必要としている(支援される)側の〝力〟=「支援を求める力」「支援を受け取る力」って、いったい何なのか? 〝力〟と言っているので、〝能力〟とか〝努力〟のようなイメージを抱いてしまうけど「支援を求める勇気や覚悟」、あるいは「支援を受け取る心構え、許容範囲」とは違うものなのかな? いずれにしても、今、苦しんでいて余裕がない人に、さらに〝力〟を求めるかのような表現はいかがなものか⁉ 一生懸命やっている人に、「もっと頑張れ!」と言っているようなものではないのか⁉ そもそも、どうやってその受援力とやらを身につければいいのだろうか?

さらに最近では、日常生活や職場でも重要なスキルなのだという。気兼ねなく相談する〝力〟悩みを打ち明ける〝力〟困ったときに人に頼る〝力〟なのだそう。繰り返しますが、〝勇気/覚悟/心構え〟とは違うのですか? ネガティヴ・ケイパビリティ(答えの出ない事態に耐える力、許容する能力)とも違うんだよね? マジでどうやって受援力を身につければいいのですか?

というのも、私のような昭和の日本人は、ことある毎に〝人に迷惑をかけるな〟と教育されてきました。〝人に迷惑をかけるな〟は言い換えると、〝人に頼るな、自立しろ〟と言われているようなものです。つまり、〝人に頼ることが苦手/失敗は自己責任〟の風潮が強い文化で育ってきたのです。それなのに、「これからは受援力が大事、人を頼ってもいいんだよ」って言われてもなぁ…、頭も体もついていけませんわ…!

とはいえ…、ドラマ「PJ ~航空救難団~」では、

超絶厳しい宇佐美教官が救難員を目指す訓練生に、「一人で強がってねぇで、もっと、目の前にいる奴らを頼ってもいいんじゃねぇかという台詞があったし、

の中には、姉は人に頼るのが下手くそだからバチバチやり合ってなんでも言える喧嘩友達みたいな人がいるといいな」という文が登場。

 

少しづつだけど世の中は、弱っている人を受け入れる態勢を整えつつあるのかな? そうやって考えると、もしかしたら〝受援力〟って、自分自身で頑張って身につけるものではなくて、周りの気遣いや心配りがあってこそ、気づかないうちに身についているものなのかもしれません。もしそうだとしたら、表面的な意味が似ているだけの〝受援力〟という言葉を使うこと自体が安直すぎるし紛らわしい。むしろ安心して頼っていいんだよというニュアンスの〝安堵感(自己安堵感)〟とか〝安寧感(自己安寧感)〟のほうが相応しくはないですか?

だとすれば〝受援力〟の前に社会全体が〝支援力〟を身につける必要があるということでしょう。人から助けを求められたら、話を聴く、手を差し伸べる。困っている(困っていそうな、悩んでいそうな)人がいたら声をかけてみる…といったような。

朝ドラ「虎に翼」で、寅子が航一にかけた言葉…「寄り添って一緒にもがきたい」、よねさんが轟に言った言葉…「私の前でカッコつけるな」、みたいに…。

これはこれで勇気がいることですが…。

 

(おまけ)

エジプト人の「いい加減」でがんばりすぎない生き方」より、

エジプト人は、苦手なことはムリにやらず、できる人に任せる「デリゲーション=委任」の文化があり、その分、〝狭く深く〟を追求する(日本は、〝広く浅く〟を求める)のだそう。お国柄の違いとは言え、見習いたいです。

(おわり)

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

 

大転職時代?…社会構造の矛盾にはやりきれないなぁ!

GW明けが、新入社員を中心に会社を辞めるケースが1年で最も多いらしい。

退職の理由は、

  1. 仕事内容のミスマッチ(勤務内容や働き甲斐など、入社前に聞いていた内容と異なっていた)
  2. 労働条件への不満(残業が多い、休日がない)
  3. 将来への不安(昇給、昇進の見通しに対する失望)

など、入社前に聞いていた話と違う…と。なかには、「始業前のラジオ体操が嫌だった」「5分残業させられた」「制服が似合わなかった」など、驚きの理由も⁉

今の時代、ハラスメントや辛い思いを抱えながら限界まで我慢してまで居続けなくてもいいとは思うけど、それにしても…、たった1ヶ月で何がわかる‼ しかも最近はやりの退職代行サービスを利用するなど…! いい歳をして自分自身でけじめをつけることもできないとは、無責任にもほどがある!

だから会社側の言い分、

  • やるべきことをやる前から、働き甲斐とか、心理的安全性とかを主張する
  • ストレスへの耐性が低い

には少なからず同情するけれど、一方で採用する会社側にも見直すべき点、反省すべき点はあるんじゃないかな?

新卒にしろ中途にしろ、そもそも採用する目的って経営計画を達成するために、

  • 不足している人材やスキルを補う
  • 新しい人材により、組織を活性化させる

だよね。

だったらそのために〝必要なスキルは?/求める人間性や価値観は?/必要な適正人数は?〟など、まず採用計画や人材育成計画、また補完するためのアウトソーシング計画といった人材マネジメント戦略を立てて、キチンと実践しているのかな?…どれもあたりまえのことなんだけど…。

しかし売り手市場においては、とにかく限られた予算の中で〝頭数〟をそろえることが先行しすぎていませんか…スキルや価値観には多少妥協してでも…⁉ そして分業制が行き過ぎた結果、「人を集めて採用するのは人事部門の役目」、採用した後は「人を育てるのは現場の責任」みたいになっていませんか⁉

 

以前から〝大転職時代〟と言われている。団塊世代の大量退職や少子高齢化に加え、働き方改革による労働時間の上限規制が、企業の人手不足の慢性化に拍車をかけていることはみんなわかっている。確かに、高度経済成長期には、大半の日本人が「努力は報われる、豊かになれる」が実感できる時代だったように思う。だからこその、

〝24時間戦えますか〟…私が若い時代のビジネスマンへの応援歌でした(懐かしい!当時CDまで買いましたよ)。もちろん、しんどいことや辛いこともたくさんあったけど、それ以上に充実していたように思います。

安定成長期の現代において、昔と同じことを求めるのは違うとは思いますが、それでも自身の将来目標を持つこと、一定期間続けるからこそ達成感や充実感を味わうことができる…というのは、今も昔も変わらないと思う。

だからNHK首都圏ナビ(2025年1月29日)を見たときは、なんか救われたような気がしました。

あなたにとって仕事とは?新宿・新橋で30人に聞いた…収入・やりがい・ワークライフバランス何が大切? | NHK

賃金引上げ、特別休暇制度、充実した福利厚生など待遇改善は大事だけど、従業員に長く活躍してもらうには、自社への愛着や満足度を高めてもらうことが欠かせない。その意味で本当に従業員が変えたい(変えてほしい)と願っているのは、報酬アップもさることながら、表面的なことよりもウェルビーイングと企業文化の改善だと感じます。今こそ経営には、職場と従業員の間にあるギャップに真摯に向き合い、まさに社会が求めていウェルビーイング経営=生産性向上+充足感=への取り組みを切に願いたいです。

 

(PS.①)

によれば、

  • 平均の転職回数は、男性=約1.97回、女性=約2.49回
  • 6回以上転職回数も、男性=6%、女性=11.0%

年齢が上がるほど転職回数も増える傾向にはあるが、中には、

  • 30代ですでに、転職4回=1%、5回=2.9%、6回以上=4.3%

というツワモノも(売り手市場の大転職時代がなせる技なのか)。しかし、「不満だ/イヤだ」というのであれば、少なくとも自分の中で〝では、どうなれば満足できるのか/妥協できるのか〟を明確にしておくのは当然のこと。

ある会社でのリクルート面接で、「私は貴社で技術を身につけ、貴社のブランドをウリにして3年で転職します」と言い放った学生がいたという話を聞いた。一見失礼で傲慢だけど、むしろこの方が割り切れて潔い感じがする。

 

(PS.②)

立て続けに報道された人員削減のニュース。

  • パナソニックホールディングスは、グループの構造改革の一環で、全体のおよそ5%に当たる1万人規模の人員削減を行う方針を明らかにした(2025年5月9日)
  • 日産自動車は、経営の立て直しに向けて、2027年度までにグループ全体の従業員のおよそ15%にあたる2万人を削減(2025年5月13日)。
  • ジャパンディスプレイは、赤字が続き経営の立て直しが急務のなか、国内の従業員の半数近くにあたる1000人を超える人員削減を検討(2025年5月15日)

「従業員を採用・確保したい企業」の一方で、「利益を確保するために大規模なリストラ」が行われる矛盾。逆に過去にはバブル崩壊後の就職氷河期とよばれる就職難の時代など、手の届かないところでイケてない政治や経営に振り回されている実態。そこに「転職をあおる転職エージェント」も加わると、大転職時代が抱える社会構造的なやりきれなさを感じざるを得ない!

 

(PS.③)

「静かな退職」という〝働き方〟なんていうものがあるらしい⁉

 会社を辞めないものの仕事に過度に力を注がず、必要最低限の業務のみを行う働き方を指す言葉だそうで、具体的には、会議で発言しない/難しい仕事はしない/定時に帰るなど。放置すると、従業員のやる気や熱意、ひいては組織の活気がどんどん失われていくようで、なんとも恐ろしい!

(おわり)

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

 

友達と知人、仲間と仲良し…私のコミュニティでのつながりを考えてみた

友達・親友、知り合い・知人、相棒、同志、仲間、仲良し、パートナー…、いろんな呼び方があるけれど、実は私、それらの違いに自信がありません。言葉の定義ではなく…あの人は友達なのか?知り合いなのか?仲良しなのか?ということ。今、私の周りに〝友達〟と呼べる人は何人いるだろうか? 知り合いや仲間はそれなりにいると思うのですが…。

私にも複数のコミュニティがあって…、

  • 幼稚園(場合によっては保育園)から《学び》の段階が始まると、はじめて《家族(特に親)》とは別の世界が広がっていて、学びも遊びも、入園・入学した学校を中心に友達やグループが展開していきます。しかし、幼→小→中→高→大と進んでいく中で、卒業した後も付き合いが続いているかというと、私の場合、ほんの数人を除いて必ずしもそうではありません。そのときは確かに友達(何人かは親友)と思っていたけれど、卒業して顔を合わせる機会が減ると、おのずと少しづつ疎遠になっていきます。そんな友達だった人たちは、今でも友達なんだろうか?友達と呼べるのだろうか? 
  • 社会人になり《仕事》の段階になると、交流関係は会社が中心なり、同期や先輩・後輩だけでなく、上司や部下、そして顧客やビジネスパートナにまで世界がぐんと広がります。私は転職を3回(うち1回は出向→転籍、で今はフリーランス)していますが、《学び》の卒業と違って、退職した後も、プライベートでそれぞれの会社の方々との集まりがあれば参加するし、時にはかつてお客さんだった方ともご一緒することも。ただここでの関係は、あくまで当時の上司は今でも上司、先輩は先輩、お客さんはお客さんという感覚であり、おこがましくてとても友達と呼ぶことはできません。あえて言うなら〝同志〟あるいは〝仲間〟というのがなんとなく一番近いかな…。
  • 《プライベート》では…、
    • 職場がきっかけの集まりもあれば、新たな出会いもあったり…。たとえば「おじ散歩」のメンバは、自然と歴史とビールを愛する散歩仲間ですが、メンバが新たなメンバを誘ったりしていくうちに、一人ひとりが友達かというと言い切れる自信がありません。(友達の友達はみんな友達らしいので)メンバに友達だと言っても、きっと誰も否定しないだろうけど…。さながら〝仲良しグループ〟ってとこでしょうか。
    • 最近はSNSが出会いのきっかけになることも多いそう。(私は古い人間なので)会ったこともないのに、「いいね」の数だけ〝友達〟がいるなんて到底思えないのですが、それでもネットでの繋がりは〝知り合い〟と言わせてほしい。会ったことはなくても、知らないことや解らないことをたくさん教えてくれる大切な存在だからです。
    • そして個人的な「妄想」の世界(これをコミュニティと言っていいのか分かりませんが…)も。例えば、おもしろい小説や映画などに出逢うと、ついその作品に入り込んでしまい、登場人物と自分をすり替えてしまうような妄想…。ふだん出会えないような魅力的でおかしな人たちが、私の記憶のなかに溢れています

あらためて《学び》《仕事》《プライベート》での交流関係の背景を考えてみると…、

《学び》は基本自分のため。体育祭や文化祭などでクラス対抗やクラブ対抗はあるものの、それ以外はクラスとして、学年として、学校として共通の目標があるわけではありません。とりわけ受験が絡んでくるとなおさら。極端な言い方をすると、たまたま同じクラスにいるだけの関係。卒業した後の共通話題は当時の思い出が中心であり、だから時間とともに尻すぼみしていく? 卒業後も共通の趣味趣向や共通の目標が見つかればいいのですが…。

その点、《仕事》では組織で同じ目標をもって取り組んでいるので、喜びも苦しみも分かち合った仲間意識が強く、チームと呼ぶにふさわしい関係のように思います。組織風土が醸し出す共通の〝価値観〟を持った人が集まりやすいというのも、時間経過や年齢差などに関係なく付き合い続けられる要因かもしれません。しかし利害やビジネスと割り切った下心(得か損か/儲かるか儲からないか)だけが見え隠れした関係の場合は、この限りではありませんけどね。

《プライベート》…とりわけ趣味趣向での関係が心地良く長続きするのは、この〝価値観〟が似通っていることと、利害抜きの〝適度な距離感〟なのかも…。

 

仕事関係でもコロナ禍やテレワーク普及で顔を合わせる機会が減りました。チャットやLINEなどのコミュニケーションツールでも伝わるけれど、言葉足らずだったり、既読スルーだったりすると不安になったりイラっとしたり。やはり直接顔をあわせて会話することは、関係を長く続けるうえでも大事!

ここまで書いてきて、結局、友達・親友/知り合い・知人/相棒/同志/仲間/仲良し/パートナーの線引きすることに大きな意味はない…と思い至りましたときに時間を贅沢に過ごしてくれるだけで、ときに声をかけてくれるだけで、こちらから声を掛けたら応えてくれるだけで…。

 

(おまけ①)

によると、

  • 友人の有無と平均人数

  • 親友の有無と平均人数

だそうです。なんかちょっと意外!

 

(おまけ②)

薫子とせつなのとの関係は、友達/知り合い/相棒/仲間/パートナー…どれでもなく、〝仲良し〟とも違う。でもお互いを大切に思う…お互いにお互いを必要とする不思議な関係。いつまでも余韻が…。

「カフネ」とは、ポルトガル語で〝愛する人の髪にそっと指をとおすしぐさ〟を意味する言葉だそう。なんて優しい言葉なんだろう。本屋大賞おめでとうございます。

(おわり)

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村