新年度を迎え、期待と不安が交錯する時期。そこで…、あらためて「挑」と「逃」をじっくりと眺めてみた。
「挑」も「逃」も旁(つくり)は同じ「兆」。でも意味は正反対。「兆」は、文字通り〝ものすごく多い・大きい〟という意味と、兆候というように〝きざし〟という意味がある。
そこから考えると、
「挑む」は、〝きざし(=チャンス)を感じたら、自分の手で大きなことに取り組め〟ということなんだと想像できる。「扌(てへん)」が示す通り〝自分の手で〟というところが重要だね。
一方「逃げる」は…? 〝逃げる=距離を置く〟と考えると、時には距離を置いたほうがいいときもあるし、〝逃げる=逃避する〟は、どうしようもなくなった時の最後の手段と考えると、必ずしも「逃げる」ことがダメなこととは言えない場合もある。
ただ、「辶(しんにょう)」は「くねくね道」にようにも見えるので、〝逃げるにも大きな労力が必要で、一生懸命遠くへ行かないと逃げきれない〟ということかな?
〝挑む〟にしても〝逃げる〟にしても大きな決断と覚悟と勇気と労力が必要! 中途半端はない!
先週最終回を迎えた「ブギウギ」で大野さんが言ってました。
悩んでいる愛子にスズ子がかけたことば、
「逃げてもええで。ただなぁ…逃げたら、そのことは一生忘れへんで」「負けるんが嫌で逃げるんやったら、たぶん負けたほうがええねん。負けて悔しい想いしたほうが多分ええねん」
を受けて、大野さんは、
「私も一生懸命やって負けたら傷つくと思ったんだけど、傷ついてもいいんでねぇかと思うよ」
「好奇心は生きていく中で一番大切なことだと思ってる」
「怖えー、逃げてー、と思うときはたいてい心の中で、やったほうがいいって、自分ではわかってるんだと思う」
そんな時、プロフェッショナル・仕事の流儀で、少年野球チーム監督の辻正人さんも、まったく同じことを。
「ヒットを打つことを目的にするのではなく、全力で楽しむことが目的。楽しんでいたら、いいプレーができる。だから好奇心にフタをしない。自分の仕事はワクワク感がある状態を作ってあげること」
「失敗するのはラッキーなんです。負けるからこそ次にチャレンジするんです。失敗してからどう乗り越えていけるかが、一番学べるとこだから」
子どもだけじゃない、年齢に関係なく大人だって一緒。大野さんの言葉、辻さんの言葉、しっかり胸に刻んでおこう!
〝挑む〟にしても〝逃げる〟にしても、決断と覚悟と勇気と労力と〝好奇心〟も忘れずに!
(おまけ)
「桃」はどうだろう?
「きざしの木」なら、桃は未来を予兆する、予見する木なのか?
ものすごく「大きな木」、あるいは「たくさんの実がなる木」かな?
桃尻=赤ちゃんのつるつるしたお尻を連想させるけど…。
(ま)