徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

またまた愛すべきガネーシャ参上!

ビジョナリーカンパニーは「ZERO」だったけど、こちらは「0」

  • あらためて原点に戻って、自分の人生を見つめ直そうの「0」であり、
  • いい時も悪い時も、好きも嫌いも全て「素」の自分であるの「0」でもあり、
  • ガネーシャの教えは、結局は一つの真理に繋がる根源の「0」でもある。 深い。。。

 

先のブログ「過去は変えられない、未来は変えられる…ってホント?」

では、〝今〟が大事ということを書きましたが、ガネーシャも最初(第1巻)から同じことを言っている…「本気で変わろ思たら、意識を変えようとしてもあかん。意識やのうて〝具体的な何か〟を変えなあかん。具体的な何かをな!」と。

 

で、ガネーシャのすごいところは、

  • 課題は、誰にでもできることだけど、最初は「なんで?」「なんのために?」と思うようなこと。こう思ってしまった瞬間に普通の人は〝動かない〟もいろんな手段を使って実行させてしまうところ。
  • 実行してみたら、そこにはちゃんとした理由が後ろ盾になっていること。

そしてなによりも、

  • 最初から種明かしせずに、課題の真の理由を本人に気づかせようとすること

カウンセラーの基本は〝傾聴〟って言いますよね。まさにガネーシャの課題は、このカウンセリングを地で行っているようなもの。 もっともガネーシャの場合は傾聴ではなく、愛すべき身振り手振りの口振りの自画自賛やさぐれタイプですがね。

 

数あるガネーシャの言葉のなかで、ずっと心に残っていること…、

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みんな 『夢』 ちゅう山の頂上に向かう道は一本やと思てる。でもほんまはちゃうねん。

それ以外にも山頂に至る道はたくさんあんねん。 一つの道を行ってみて違うてわかったら、他の道が見えてくる。それを繰り返しながら登っていけば、最後は必ず山頂にたどり着けるんやで。 

しかし人生ゆう道の途中には自分では選ぶことはできへん悲しい出来事が起きるやろ。そんとき「どうして自分だけが…」て思うわな。でも、その悲しみが自分にとってどんな意味を持つのか、自分だけの「人生の意味」を見出そうとしてるんや。どんな悲しい出来事も、そこに意味を見出すことで=それはもちろん、すぐできるわけやあらへん。長い時間がかかるかもわからん。でも最後には必ず、人生を喜びに満ちた、豊かなものにしてくれるんやで。

そんで、山頂に立った時初めてわかんねん。『自分がくる道これやったんやな』て。

『無駄な出来事なんて一つもなかった。この場所に来るために、全部必要なことやったんやな』てな。

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心から笑って、時には泣きたいことがあっても、とことん人生を楽しもう!

 

PS.

「天職」って、横文字でなんていうか知ってるか? 〝Calling〟や。神様に呼ばれた=神様にその仕事をするように招かれた=いい言葉ですね。

(ま)