徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

わかってるのに、なぜ人はルール違反を起こすのか?

仕事柄、セキュリティインシデントに遭遇することも。中でも内部不正による情報漏洩など、内部の人間による意図的な行動には本当に悔しい思いがする。いくら事前に対策を施していても、与えられた権限の中で行われる内部不正は、予測なんてできないし、検知・発見も難しい。加えて会社や事業に与えるインパクトには計り知れないものがあるからだ。

スピード違反、駐車違反、飲酒運転など交通ルール違反といった卑近な例から、製造業における品質検査データ改ざん、内部不正による個人情報漏洩といった社会的な問題など、なぜ人は、良くないと知りながらルール違反を起こすのだろうか? ルール違反をする人には、その時、どのような行動心理が働くのだろうか?

ルール違反が起こる要因として思いつくのは…、

①ルールそのものを知らないから

└ 本人にはルール違反をしている認識はなく、無知が故の無邪気な行動

②ルール違反はメリットを伴うから

└ 楽だから、早いからなど、ルール違反による恩恵が大きい

③ルールを破っても罰則がない(あっても軽い)から

└ 罰則がない(軽い)なら気にしない、②があればなおさら

④ルール違反ができる雰囲気があるから

└ みんなやっている、誰も見ていない

⑤ルールを守り続けるのはしんどいから

 └ 1回くらいいいか…

こう考えると、以外は、その裏返しが対処方法になりそう。

①ならルールを教えればいいし、③なら罰則を重くする、④と⑤は統制や監視を強化する、といったところ。

それに比べるとは根が深いね。

ルール違反ができないようにガチガチな仕組みをつくることもできるだろうが、投資効果は疑問だし、利便性を阻害する。そもそもルール違反による恩恵が大きければ大きいほど、心は悪魔の囁きには勝てず、必ず抜け道を探そうとするだろうし。

とすると、〝人の気持ち=理性、感情〟に訴えるしかない。

人の行動は〝気持ち〟に左右されることが多い…ことを示す興味深いグラフがあった。

 

  • [したい曲線]… 一人ひとりが意識高く行動すれば、それが習慣となり、やがて自然に向上していく
  • [ねばならない曲線]… やらされ感を持たせたら効果は半減する

つまり、いかに[ねばならない曲線][したい曲線]に引き上げるかがポイントだね。

手段として、注目したいのは、

 ☞ [Ⓟ:ペナルティ曲線]ペナルティや罰は一瞬大きな効果が出るが長続きしない

ということは、では[したい曲線]に引き上げるのは難しいということ。まぁ、で維持している組織は、管理する側もされる側も息苦しそうだけどね。

では、

 ☞[Ⓔ:感情曲線]はどうだ?…人は第三者の反応がないと行動を消滅させていく

なるほどここには大きなヒントが。「第三者の反応がないと消滅させていく」のであれば、消滅させなければいい…つまり反応すればいいのだ!

 

これは、行動科学マネジメントの[ABCモデル]そのものじゃないか。

人は、先行条件をきっかけとして行動を起こすものだが、その実は、結果を知っているから(あるいは容易に想像できるから)行動を起こす…という考え方。

つまり、人の行動(B)は、先行条件(A)よりも、結果(C)に左右されるということ。

 

組織のセキュリティ活動に当てはめてみようか?

(A)

ヒヤリハットを経験した

スマホをなくした

(B)

報告した

 

(C)

注意はされたが、再発防止の対策を考えよう、と言われた

この場合なら、〝みんなの役に立つのなら〟と考えるし、自身も過ちを繰り返さないように注意深い行動をとるだろうね。

一方、

(A)

ヒヤリハットを経験した

スマホをなくした

(B)

報告した

(C)

怒られた、無視された

この場合は、今後はできるだけ自分だけで対処しようとするし、よほどのことがない限り報告することはないだろうね。

つまり、ABCモデルにより、人の行動を適切に評価し、前向きに反応する、フォローアップすることが重要なのだ。

ちなみに逆のケースは…最悪!

(A)

面倒だ、楽だ

急ぎの仕事を片付けたい

(B)

わかってはいるが、

ルール違反をした

(C)

誰にも注意されなかった、気づかれなかった

一度でもこういうことがあるとタガが外れ、ルール違反を続けることに(どうせ誰にも注意されない、ばれない、…)。

 

人は感情の生きもの。

[Ⓔ 感情曲線]をうまく利用して[したい曲線]にできれば、ヒヤリハットを減らすことができ、重大な事故を減らすことができるはず。

ABCモデルを浸透させ、習慣化するまでには長い時間を要するかもしれないが、結局これが、唯一の方法であり、一番の近道のように思う。

(ま)