徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

小さな葉っぱの中に広がる果てしなく大きな世界! リト@葉っぱの切り絵展

小さな1枚の葉っぱの中に、こんな大きな…大きな…大きな 世界が広がっているんだね。

 

実物のあまりの小ささ、繊細さに圧倒される! しかも、それぞれの葉っぱの中にはストーリーがあって、動物たちが生きていて、歌っていて、優しさに溢れ、私たちを妄想の世界へと導いてくれる。

 

たとえばこの作品。タイトルは「素敵な空が見えるよ、明日もきっと」。森に暮らす動物たちが、「今日もいっぱい遊んだね。空を見上げれば、あっ、流れ星。よし、ボクは風船で空に浮かんで捕まえるよ。ボクは長い鼻で吸い込むよ。オレは月に乗せてもらうぜ! 周りはやんやの大騒ぎ。明日も嬉しいことがいっぱいありますように」って感じ?

キミが見つけた秋、ボクにもよく見せて!」 …「おっと、ボクの体も秋色じゃないか!」

 

ある彫刻家は、「私は作っているんじゃない。そこにあるものをただ彫り起こすだけだ」と言ったとか。

リトさんには、葉っぱの中に夢の世界が見えるんだろうか。

ミリ単位にこだわる切り絵の技術も素晴らしいけど、葉っぱの中にある世界を見つける感性、構図、想像力・空想力がすごい! もしかしたら葉っぱのほうもリトさんに見つけてもらうのを待っているのかも。見ている私たちも想像は無限に広がる。

 

リトさんはADHD(注意欠如・多動性障害)なのだそう。普通の正常な凡人よりずっとすばらしい作品を創作しているのに「障害」って…。世の中はなんて理不尽で矛盾しているか…と思っていたら、リトさんは、「ADHDと診断されて、人と同じことができないのは障害があったからで、努力不足ではなかったんだと言ってもらえた気がして、診断後は今までの肩の荷がすべて下りたような解放感がありました」と。

目から鱗〟とはこのこと。ありのままの自分を知り、受け入れることができたからこそ、没頭できる世界を見つけることができて、人々を感動に巻き込むことができたんだね。なによりもリトさん自身が楽しんでいる姿が嬉しい、作品を通して私たちも楽しくなるもの。

あらためて鈴虫寺で聴いた「素・磨・歩」は大事!と実感した。

その人が持つ〝個性を伸ばす〟…このことこそ、いま社会に求められていることであり、歳を重ねた私たちの使命。フィロソフィを引き継ぐ後継者が育つことを願って。

(ま)