徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

1.17…また忘れられない日がやってくる 能登半島地震は他人ごととは思えません

1995年1月17日(月)午前5時46分、それは突然やってきた! 体が突き上げられ、横で寝ていた家族に覆いかぶさろうとしても思うように動けない。ガラスが割れる音、なにかが倒れる音、建物が悲鳴をあげる。世も明けぬ暗闇の中、何が起こったのかまるで分らない…。

 

1月1日の能登半島地震も突然の出来事だっただろう。とても他人ごととは思えない!

テレビではどのチャンネルでも報道に切り替わり、ずっと「大津波警報!」「高台に逃げてください!」「海岸や河川から離れてください!」「命を守る行動を!」と叫び続けている。途中から気分が悪くなり(地震の映像はどうしたって29年前を思い出す)、気にはなるけどテレビを消した。そしてふと思った。この放送は一体誰に向かって訴えているんだろう?と。

神戸の時は一瞬にしてライフラインが止まったので、テレビは見れず、新聞も届かず、今のようなインターネットも普及していない。何が起こっているのか、どんな状況なのかさっぱりわからなかった。明るくなって、つぶれた家、落ちた橋げた、脱線して傾いた電車、立ち上る白い煙などを目にして、ただ事ではないとは直感したが。

結局、一番知りたい人(そこにいる被災した人)には、自分に起こっていることが一番分からないのだ!

 

また報道では「死者〇名、けが人〇名、行方不明〇名」っていうけど、これも誰に向かって言っているのだろうと思う。視聴者が知りたいのは総論=集計ではなく、「あの人は無事なのか」ってことでしょう?

一番知りたいこと(あの人の安否)は誰も教えてくれない!

各局は、どこも被害現場ばかりを映すのではなく、助かった人々を撮りまくる局があってもいいと思う。

 

今はインターネットも普及しているしテレビもデジタルなんだから、各局は個別に報道合戦をするのではなく、各局が協力取材した内容を共有し、テレビとインターネットで一斉放送したらいいんじゃないか? 伝える内容を役割分担(被害状況を俯瞰する局、安否を伝える局、避難所や物資を配布している場所を伝える局、通れる道路を伝える局などしてもいいと思う。またどのチャネルもずっと被害報道だけだと気が滅入るので、役割分担の中には娯楽番組やヒーリング番組があってもいいよね。見るか見ないかは視聴者(被災者)が決めたらいいんだから。視聴率云々言っている場合じゃない!

 

神戸の希望の灯りには、「震災が奪ったもの」と「震災が残してくれたもの」が刻まれている。「震災が残してくれたもの やさしさ、思いやり、絆、仲間

今年の「1.17のつどい」では29年前に思いを馳せつつ、能登半島地震へのお見舞いと復興を心からお祈りします。

 

(ま)