徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

強い人、弱い人、なぜ人はすぐ勘違いするのだろう?

YouTubeいかりや長介さんのメッセージを聞いて心が震えました。聞き返す度に、新たな気づきがあります。

いかりや長介名言・格言 - YouTube

人って基本は優しい気持ちを持っていると思うんです。優しい気持ちって言うのは、人を思いやる心…とでもいうのか。でもさ、良かれと思ってしたことで、逆に嫌な思いをすることも。実際に経験したことを挙げると、

  • 駅で車いすの人が切符を買おうとしていたので、「どこまで行くんですか?」と声をかけたんだけど、きつい口調で「おかまいなく!」と言われた
  • 繁華街で前から来た歩きスマホの若者を避けて動線を譲ったのに、すれ違いざまに肘が触れて、その瞬間「チッ」って舌打ちされた
  • ある病院の診察室で、ズーっとパソコンに向かって質問する医者に、それでも丁寧に答えていたんだけど、さすがに一度も目を合わせようとしないので、おもわず「あんた、いったい誰と会話しているんですか!」と言ってしまった

こんなことがあると、無理していい顔するのやめよ…、関わるのやめよ…、なんて感情的に思ってしまいます。

 

社会で生きていくためには、自分の居場所が欲しいし、存在感を示したいし、いろんな人と相対さなければならないし、意見を押し通さなければならない時もある。時には攻撃してしまうことも/されることも。

だから時には優しい気持ちが〝弱さ〟と感じてしまう…。外に出ると心理的〝弱さ〟を隠そうとする⇒多少無理しても強がって格好つけようとする(無意識にペルソナの仮面をかぶってしまう)⇒疲れる…全然強くはなっていない、演じることもできない⇒あらためて自分の〝弱さ〟を実感する…の繰り返し。

 

自分の弱さをキチンと認識し、誰に対しても・何に対しても自然体(素の自分)でいれる人が本当に強い人なのでしょうけど…、なかなかその域には達せず、無駄に〝もがいている〟ことも多い気がします。

人って、武器(肩書やブランド等)を持つことによって強くなるのではなく(勘違いしている人は多い)窮地に立たされたとき、ライバルと戦い、自分自身と闘うことで鍛えられ強くなっていくんだろうなぁ。

そう考えると、切磋琢磨している弱い人のほうが実は強く勘違いした強い人は実は弱いのかもしれません!

 

長さん、、、「人は弱くていいんです」と言われて、正直ホッとしたよ。強い人より、弱さを受け入れて隠さない人のほうがカッコいい! でも、ひとりで戦うのは辛いときもあるよ。誰かがそばにいてほしいときもある…そんな時は長さん、寄り添ってもらえますか?

(ま)