なにかとギスギスした世の中、「やさしさ」にふれると〝ハッ!〟とする瞬間があります。忘れかけていた大切なことに気づかせてくれる、思い出させてくれるからでしょうか。
自分では気づかないうちに、いつのまにか身構えているというか、イライラしているというか、目に見えないなにか(誰か)と闘っているというか…、そして疲れる…、ギスギスしてたのは自分でした、イカン、イカン!
あらためて「やさしさ」って何でしょうか?
色々な考え方があり、意見もあるでしょうけど、私は、「心を込めて相手のことを考える、相手の気持ちを想い、寄り添う」ことではないかと考えています。
しかし、わたしなぞ、ついこのことを忘れてしまい、まさに俗人化してしまうことの繰り返しですわ。
ぼくは不安、モグラは物知り、キツネはずる賢いイメージがあるけど実は弱虫で寂しがり屋で寡黙、馬は優しさと勇気、そして森は人生。私が感じたそれぞれの登場人物の姿です。…これらはすべてふつうの人なら多少なりとも持ち合わせている要素じゃありませんか。一人の中に併せ持っていては、なかなか気づけないことを、たまたま出会った相棒を自分の鏡として客観的に感じることができたからこそ、大切なメッセージを、たくさん発見できたんじゃないかな。
- 「おおきくなったら、なにになりたい?」「やさしくなりたい」
- 「成功するってどういうことかな?」「そりぁあ、だれかをすきになることだよ」
- 「やさしくされるのをまつんじゃなくて、じぶんにやさしくなればいいのさ」
- 「涙がでるのはきみが弱いからではない。強いからだ」
- 「いつだって正直なのはおもしろいことさ」
などなど、どれも生きていく上で大切なこと。
ところで、
「なにかがおきたときにどうふるまうか。それこそが、オイラたちにあたえられているさいこうの自由ってもんさ」とモグラがいう場面があるんですが、
同じようなことを言っている映画がありました。
「大抵の人は自分のことで精一杯、しかし自分を捧げれば報われる。嬉しいことに、その選択は自分でできる。私にも効く魔法だ」
アメリカ映画「ビューティフル・レターズ 綴られた言葉」の中のセリフです。
- 何事にもバランスがあって、与えた分だけ受け取れる
- 人生は鏡なんだ、周りの人によって映し出される
- いいことだけに言葉を使うことにした
人は弱い、私はもっと弱い。
だからこれらの言葉は、ずっとそばにいてほしい。
(ま)