徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

おじ散歩solo 亡き父と天王寺七坂をブラブラ

先日、父の四十九日法要と納骨で一心寺さんへ。

 

思い返せば父とはいろんな所へ行って、よく歩いたなぁ…。というわけで、一連の法要を終え、魂を入れてもらった位牌を携えて、思い立って天王寺七坂散歩。いただいた「夕陽丘お寺マップ」を見ながら、谷町筋松屋町筋に挟まれた7つの坂を上ったり下ったり。

 

まずは一心寺前の〝逢坂〟から…、ここが逢坂? 今は車の往来が激しい国道25号線、昔の面影はどこへやら。逢坂(おうさか)って大阪をかけてるのか? 大阪も昔は大坂だし…ちゃうわ!大阪も大坂も〝おおさか〟や!

 

安居神社へと続く天神坂。坂を下っていると自転車を押しながら上がってくる年輩のおっちゃんが息を切らしながら、はぁ…まさに…はぁ…人生の…はぁ…坂道…」。しんどさを笑いに変える…おっちゃん、さすがです!

 

清水坂の名前のもとになったという清水寺。こんなところに? 〝玉手の滝〟大阪市内唯一の天然の滝だそうだけど、これが滝なんか? …おっと、そういえば京都の清水寺にあるのも〝滝(音羽の滝)〟やん!

 

 

急な〝愛染坂〟、これは息が切れる。すぐ近くの愛染さん・金堂の裏にある多宝塔は戦争でも焼け残ったのだと。

ところでここ…「あいぜんざかなんよね。「愛染(あいぜん)かつら」もここが縁とか。でも私「愛染」と言う字をみるや「愛染(あいぞめ)恭子さん」を連想してしまい、「あいぞめざかと読んでしまいました…失礼!

 

〝口縄坂〟は白壁が続く穏やかで風情がある坂。落ち着くわぁ。 蛇は〝くちなわ〟とも読むらしく、だから「口縄」って「蛇」のことらしい。でもなぜ蛇?石畳の階段が蛇に見えるから? 見えるかな? 見えなくもないか。

 

趣のある〝源聖寺坂〟。ゆるやかな石畳にはじまり、途中くねくねと階段になり、さいごはまた緩やかな石畳。修学旅行なのか校外学習なのか、中学生らしき男女のグループが、はしゃぎながら賑やかに追い越していく。このワイガヤさえも源聖寺坂がBGMにかえて、違和感なく包み込んでくれるかのよう。

 

生國魂神社(いくたまさん)に参拝して、いよいよ最後の真言坂〟。短い坂を下るとそこは千日前通り、上には阪神高速。雑踏(現実)に戻ってきなぁ…。

 

7つの坂はどれも個性的で、それぞれ違った風情がある。夕陽は見られなかったけど、亡き父とともにブラブラ歩いて、見送ることができたんじゃないかと思います。とても良い時間を過ごすことができました。

 

(おまけ)

一心寺の前にちょっと道草。

大坂冬の陣では徳川家康の本陣が、大坂夏の陣では真田幸村の本陣がおかれたと記されている。遠く大阪城を攻める(守る)ために睨み合ったのがここ? 幸村が家康を追い詰めながら果たせなかったのもここ? そんな場所に自分が立っているなんて…、戦国の世のスケールの大きさに思いを馳せる…。

(ま)

 

こんなところにウルトラマンがいた!

ちょうど照明の逆光が光の巨人を演出!

 

思いがけない再開に心が震える、感激!

そういえば2年ほど前にも会ったぞ!

その時ウルトラマンゼットン(めちゃめちゃデカい!)との壮絶な戦いの後、「さぁ、光の星へ帰ろう、ウルトラマン」というゾフィーの呼びかけに、

・私は一人の人間と共存している。彼の命を維持するために、私はこのまま地球に残る

・人類はまだ幼い。私は人間が生き延びる可能性をわずかでも高めるために地球に残る

私の命は彼に渡して、この体はこの星の未来の人間に任せたい

と。

M78星雲にも帰らず、こんなところで地球を見守っていてくれたなんて。

ウルトラマンシリーズが長く続くの真の魅力は、

  • なぜ怪獣や異性人が現れるのか、人間のエゴが招いていることなのではないか
  • 人間の知性のすばらしさ思いやる気持ちの尊さ(相手が誰であろうと)は、最先端科学技術を持つ異星人にも勝るものなのだ

というメッセージではないかと思う。ともすると忘れがちな…だけど大切な深いふかぁーい優しさの本質! ウルトラマンがあらためて思い出させてくれた。

 

駅にはウルトラ兄弟も勢ぞろい。

ウルトラマン科学特捜隊)のフジ・アキコ隊員、ウルトラセブン(ウルトラ警備隊)のアンヌ隊員には、当時の小学生(私です)をも惑わす何とも言えぬ大人の妖艶さが…、なんかモゾモゾした!

そしてウルトラセブンのオープニング曲、希望と夢と湧き上がる〝やるぞ!〟という気持ちをイメージさせるイントロとホルンの響きがズーっと心に残っている。それが2009年、交響曲ウルトラセブン」で蘇った。久し振りに聞いてみよう。

(ま)

梅の香り…幸せの薫り! 古い記憶も呼び覚ます?

この季節、街を歩いていると風に乗ってどこからともなく甘い香りが…。ふと立ち止まり、周りを見ると…そう梅の木。

毎年のことだけど、梅の香りってなんて幸せな気持ちにさせてくれるのだろう。こうして写真を眺めているだけで、あの甘く優しく幸せな香りが漂ってきそう!

  

そして古い記憶も呼び覚ますのが、香りの不思議なところ。

  • (何年か前)北鎌倉に電車が着いて駅に降り立ったとたん、ふわっと甘い香りに包まれたときの何とも言えない幸せな気持ち。
  • (15年ほど前)京都は北野天満宮で息子の合格祈願をしたときに、甘い香りにふと緊張感がほぐれたこと(自分が緊張してどうする!)。
  • (30年ほど前)阪神淡路大震災に遭遇したものの、傍らに咲く梅の木の力強さと、花の香りに助けられたこと。
  • (45年ほど前)塾の帰り夜道で感じた甘い香り、梅は見えなかったけど、一瞬、寒さを忘れたこと。
  • (55年ほど前)好きな子に梅の花の押し花をあげたくて、借りた彼女の国語辞典に挟んだのだけど、つぶれて何の花かわからず、しかもページがくっついて怒られたこと。
  • (60年ほど前)父との散歩の途中、梅と桃と桜の違いを教えてもらい、さっぱりわからなかったけど、ただひとつだけ香る花があったこと。

などなど。

梅花じゃなくても〝香り〟は一瞬にして過去の記憶が蘇る!

  • 雑踏の中、街ですれ違った女性の香水にドキッとして、若いころ付き合っていた彼女?と思わず振り返えったり…
  • 湿気を含むカビ臭い匂いに、可愛がってくれた婆ちゃんの家を思い出したり…
  • 土ぼこりと乾燥した草の匂いに、田舎の土間を思い出したり…

五感の中で最も情報収集を行っているのは視覚だと思うけど、嗅覚が一番記憶に直結している気がする。

ちなみに「香」「薫」ってどう違うのかな?

薫草とか薫風、余薫なんて言葉もあって、どことなく漂ってくる梅は〝薫る〟のほうが情緒があって、似合ってるかも。

では最後にもう一度、梅花見を。

 

(ま)

旅情をそそる懐かしい思いで…連絡船にて

先週、函館で青函連絡船摩周丸に会って、懐かしい思い出がよみがえり、当時を思い出しながら旅情にひたってみました。

 

  (いずれも2024年12月20日撮影)

 

まだまだハナタレだった社会人2年目から、全国展開のシステム構築にSE(システムエンジニア)として携わっていた。当時はOA(Office Automation)が全盛で、1~2年かけてシステムを設計・開発、その後、全国の支店・営業所を回ってシステムのセットアップ、現地調整、トレーニングを行った、今の私の原点ともいえる仕事。

 

■ はじめての北海道、昭和59年(1984年)冬

仙台~盛岡の後、花巻空港から千歳空港に向かう予定だった。翌日9時に札幌支店の約束だったからね。

ところが大雪の影響で飛行機は欠航。やむなく鉄道と航路で札幌に向かうことに。青森港午前0時頃の青函連絡船(八甲田丸だったか、羊蹄丸だったか…)。青森港出港の時、雪が舞う中デッキに出て、別に見送りがいるわけでもないのに港に向かって両手を振ったなぁ、汽笛と銅鑼の音を聞いて、これで本州ともお別れ…郷愁に駆られるようなセンチな気持ちになったんだよ。そして連絡船は真っ暗な津軽海峡へ。

(イメージをphoto ACより)

ドーン・ドーンと船底から低く響く波打つ音を感じながら、マス席摩周丸にも升席が残っていて、思わず寝転がってしまった、懐かしかったぁ)で雑魚寝。午前4時頃に函館港到着。ついに来た、暗闇の中はじめて北海道の地に立つ! 見えないけど…。

函館駅には、特急北斗(海回り)特急北海(山回り)が並んで待っていたが、私はあまり考えることなく北海に乗車。乗り込むなり寝落ち、ふと目が覚めると一面銀世界の中に朝日に輝く羊蹄山が。こんな美しく神々しい風景は見たことがないよ。

(イメージをphoto ACより)

札幌支店の次の訪問先は北見営業所、特急オホーツクで。旭川を過ぎたあたりから車窓は行けども行けども一面真っ白、網走に至っては陸と海の境もわからないほどズーっと先まで真っ白。五感で北海道を感じ、北海道は冬に限る!と強く思ったね!

 

連絡船つながりでもうひとつ。初の青函連絡船から遡ること1年前、

■ はじめての四国、昭和58年(1983年)夏

広島~岡山の後、夕方四国へ向かう。当時はまだ瀬戸大橋はなく、宇高連絡船(伊予丸だったか讃岐丸だったか…)で高松へ。

晴れた夕暮れ時、甲板で潮風に吹かれながら食べた連絡船うどんがホントに美味しかった。きつねうどんが100円だか200円くらいじゃなかったかな? でも本当に美味しかったんだよ。風でお汁を飛ばされながら、うどんだけは飛ばされないよう、必死ですすったのを今でも覚えている。

  (Wikipeda利用許諾の下で利用)

およそ1時間、まもなく高松というアナウンスでデッキに出てみると、沈んだ夕陽で山のシルエットがおぼろげに見えるものの街の灯りはどこだ?「うわぁー、えらい所に来てもぅた」というのが素直な第一印象。

この日は新居浜まで行く予定だったので、高松駅で接続の急行いよ号だったかなぁ)を見たとき、急行なのにたったの2両編成(都会のもやしっ子の偏見です、すみません)。でもね、唸るディーゼルエンジン音に「おれも頑張って走っているんだから、おまえもしっかりやれ!」ってケツを叩かれている気がしたよ。

新居浜~高松~徳島~高知~新居浜とまわった出張のお供はキハ28・キハ58。警笛やエンジン音は今でも耳に残っている、あの響き…もう聞くことはできないけど…。

 

飛行機や新幹線もいいけれど、目的地までの行き帰りも旅の一部。摩周丸に会えたおかげで、懐かしい思い出とともに、ゆっくりとした楽しい時間の使い方を思い出しました。行く先々で出会った温かい人たちと、あの娘の笑顔と優しさとともに。

(ま)

おじ散歩duet in 函館 雪と戯れ、戯れられ!

なぜこの時期に函館? 雪と戯れたかったから。 前週まで雪はなくヒヤヒヤしたけれど、函館の雪は私たちの訪問に合わせて期待どおりに迎えてくれて、すばらしい演出をしてくれましたよ。

雪降る五稜郭に感激! 土方歳三の最後…ということは知っていたけど、五稜郭タワーであらためて幕末の歴史を学びました。箱館→函館の由来も。春、一面の桜🌸もきっと綺麗だろうな。

 

函館山から100万ドルの夜景。午前中の雪もすっかりあがって、澄んだ空気の中、ガイドブックそのままの写真を撮ることができました。ちょうどクリスマスイベントで、港には大きなツリー、花火のおまけ付き。港に摩周丸、遠くに五稜郭タワーも。夜景ってなんでこれほど人を惹きつけるんだろう、いつまでも眺めていたい…けど寒かった!

 

元町・光の散歩道。いったいここはどこだ? メルヘン童話の世界に迷い込んだよう。雪化粧した教会歴史的建築物が見事にライトアップされ幻想的。

 

八幡坂十二間坂などのイルミネーションが、幻想的な雰囲気にさらに拍車をかけます。期せずして八幡坂イルミネーションの先には摩周丸が…😊 

それにしても誰もいない、人も車も。それがまた不思議で非日常感を演出!

 

この冬一番の寒波到来らしく、最高気温が氷点下 -7℃とか -5℃とか。行きの飛行機は吹雪く中、函館空港に何度も着陸を試みるものの降りることができず、「引き返すか千歳に向かうかも」…とのアナウンス。そして4回目のアタック! 黒い雲の中を揺れながら降下、祈るような気持ちでいると、突然、眼下に真っ白な滑走路。うわっ、あそこに降りるのか? そんな心配をよそに滑るように雪を巻き上げ着陸、お見事! その瞬間、機内からは拍手! 飛行機を降りたときタラップからコックピットが見えたので、お疲れ様と感謝の気持ちを込めて手を振ったら、機長も気づいてくれて、笑顔で手を振り返してくれました。

本当にありがとう、山田機長。雪の洗礼を受けながらも、おかげさまで思う存分雪と戯れ、たくさん美味しいものを食べ、贅沢な時間を過ごすことができました。

 

(おまけ)

市民の足、市電。この旅でも随分お世話になりました。ガタゴトとゆっくり走る姿は、そのまま穏やかで温かい函館の人、街そのもののよう。

  

2023.12.18~20(ま)

おじ散歩solo 鈴虫寺で聴いたス・マ・ホのおはなし

鈴虫寺は正式には「妙徳山 華厳寺」といい、京都・嵐山の南にあり、通年(本当に春夏秋冬)鈴虫が鳴いていることから鈴虫寺という愛称で親しまれています。私が訪れたのは数年前の今頃12月。寒い冬の時期だったにもかかわらず、書院には鈴虫の鳴き声であふれていて、とても不思議な空間でした。

 

ここを訪れた折にお聞きしたお話しが、今も心に深く残っているのでご紹介します。

およそ30分の鈴虫説法のポイントは概ね以下のようなことでした。

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人には大切なことが3つあります。

1つ目は【素】…良いことも嫌なことも、すべて自分自身であるのだと認めて受け入れなさい

2つ目は【磨】…どんな時も、たとえ苦しく辛いときも、それを受け入れられるように、常に自分自身を磨きなさい

3つ目は【歩】…そして必ず自分の足で歩んでいきなさい

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そして最後にこうおっしゃって締めくくられました。

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この3つの言葉を忘れないように、[素磨歩(スマホ)]と覚えなさい、たまにはスマホ📱は脇に置いて。

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と。

私がこうやって文章にするとそっけないですが、実際は、温かい話し方や穏やかな声色ともシンクロして、時にはユーモアも交えて本当に引き込まれてしまいました。なんて響くおはなし、今も忘れず心に刻んで、ここでの教えを実践しています。

鈴虫の音色をBGMに、「寿々むし」と表記されたお茶菓子をいただきながら、なんと心落ち着くひと時だったか。

 

(おまけ)

この後、冬の恒例、嵐山花灯路。今はなくなってしまったとか…残念です。

 

  

(ま)



おじ散歩friends in 川越 小江戸も人の波…

自然と歴史とビールをこよなく愛するおじさん達。

急に寒くなった11月中旬、川越でおじ散歩。今回はゲストも交えて9名、こりゃおじ散歩と言うよりシニアクラブの遠足だわ。

駅の観光案内所では小江戸散策マップが3種類、お姐さんによると「何度も川越に来てもらえるように」だって。土曜日だからか駅は人が多い。というわけで、北風の中、川越駅からスタート。

 

最初は「喜多院」へ…のはずが、だんだん観光客の姿もなく普通の住宅街を進む、だけど誰も何にも言わない、気づかないのがおじ散歩。路地、生垣、畑、並木、なんてことない景色もむしろ新鮮。

たどり着いたのは「天然寺」。おかげで水琴窟」の澄んだ音色を聴くことができたし、守護仏が一堂に会した十三仏偕同の塔」も拝むことができた。

 

すごーく遠回りしてようやく仙波東照宮から「川越大師・喜多院にとうちゃこ。ここには「家光公誕生の間」があって…「えっ、家光は川越で生まれたの?」一同ビックリ! 

お参りしてから境内の茶屋で早速チャージ。寒いので熱燗組も、私は歩いてのどが渇いたので川越ビールを…地ビールかと思いきや普通の味だった。

 

次は、川越城富士見櫓」に上って、「ここからも富士山が見えたんだろうね」などと言いつつ川越城本丸御殿」へ。案内の地図を見ると敷地が本当に広いことが分かる。今はこの本丸御殿と近くの中ノ門堀跡に痕跡を残すのみ。残念ながら、太田道灌の築城の思いや、北条氏康武田信玄上杉謙信など名高い戦国大名と渡り合った名残りを感じることはできないなぁ。

昼食とりながら当然チャージ。お店は温かくビール🍺がうまい。このままではまったり根が生えそうなので、気持を振り切って散歩の後半へ。

さて、札の辻からいよいよメインストリート「蔵造りの町並み」へ。いきなり人が多い。鎌倉・小町通りか京都・嵐山商店街か。それでも「菓子屋横丁」をかすめ「時の鐘」へ、人は多くてもここだけは外せないからね。

続いて「大正浪漫通り」から「川越熊野神社へ。八咫烏がお出迎え。なんで足ツボ?

いつか和歌山の世界遺産熊野三山へおじ散歩したいねぇ。

さて、散歩の後のお楽しみ。たくさん呑んで、たくさん話して、たくさん笑って、みんな、ありがとう。

新たな出会いと発見と、その先の自分を探して、つぎはどこ行く?

2023.11.11(ま)