徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

旅情をそそる懐かしい思いで…連絡船にて

先週、函館で青函連絡船摩周丸に会って、懐かしい思い出がよみがえり、当時を思い出しながら旅情にひたってみました。

 

  (いずれも2024年12月20日撮影)

 

まだまだハナタレだった社会人2年目から、全国展開のシステム構築にSE(システムエンジニア)として携わっていた。当時はOA(Office Automation)が全盛で、1~2年かけてシステムを設計・開発、その後、全国の支店・営業所を回ってシステムのセットアップ、現地調整、トレーニングを行った、今の私の原点ともいえる仕事。

 

■ はじめての北海道、昭和59年(1984年)冬

仙台~盛岡の後、花巻空港から千歳空港に向かう予定だった。翌日9時に札幌支店の約束だったからね。

ところが大雪の影響で飛行機は欠航。やむなく鉄道と航路で札幌に向かうことに。青森港午前0時頃の青函連絡船(八甲田丸だったか、羊蹄丸だったか…)。青森港出港の時、雪が舞う中デッキに出て、別に見送りがいるわけでもないのに港に向かって両手を振ったなぁ、汽笛と銅鑼の音を聞いて、これで本州ともお別れ…郷愁に駆られるようなセンチな気持ちになったんだよ。そして連絡船は真っ暗な津軽海峡へ。

(イメージをphoto ACより)

ドーン・ドーンと船底から低く響く波打つ音を感じながら、マス席摩周丸にも升席が残っていて、思わず寝転がってしまった、懐かしかったぁ)で雑魚寝。午前4時頃に函館港到着。ついに来た、暗闇の中はじめて北海道の地に立つ! 見えないけど…。

函館駅には、特急北斗(海回り)特急北海(山回り)が並んで待っていたが、私はあまり考えることなく北海に乗車。乗り込むなり寝落ち、ふと目が覚めると一面銀世界の中に朝日に輝く羊蹄山が。こんな美しく神々しい風景は見たことがないよ。

(イメージをphoto ACより)

札幌支店の次の訪問先は北見営業所、特急オホーツクで。旭川を過ぎたあたりから車窓は行けども行けども一面真っ白、網走に至っては陸と海の境もわからないほどズーっと先まで真っ白。五感で北海道を感じ、北海道は冬に限る!と強く思ったね!

 

連絡船つながりでもうひとつ。初の青函連絡船から遡ること1年前、

■ はじめての四国、昭和58年(1983年)夏

広島~岡山の後、夕方四国へ向かう。当時はまだ瀬戸大橋はなく、宇高連絡船(伊予丸だったか讃岐丸だったか…)で高松へ。

晴れた夕暮れ時、甲板で潮風に吹かれながら食べた連絡船うどんがホントに美味しかった。きつねうどんが100円だか200円くらいじゃなかったかな? でも本当に美味しかったんだよ。風でお汁を飛ばされながら、うどんだけは飛ばされないよう、必死ですすったのを今でも覚えている。

  (Wikipeda利用許諾の下で利用)

およそ1時間、まもなく高松というアナウンスでデッキに出てみると、沈んだ夕陽で山のシルエットがおぼろげに見えるものの街の灯りはどこだ?「うわぁー、えらい所に来てもぅた」というのが素直な第一印象。

この日は新居浜まで行く予定だったので、高松駅で接続の急行いよ号だったかなぁ)を見たとき、急行なのにたったの2両編成(都会のもやしっ子の偏見です、すみません)。でもね、唸るディーゼルエンジン音に「おれも頑張って走っているんだから、おまえもしっかりやれ!」ってケツを叩かれている気がしたよ。

新居浜~高松~徳島~高知~新居浜とまわった出張のお供はキハ28・キハ58。警笛やエンジン音は今でも耳に残っている、あの響き…もう聞くことはできないけど…。

 

飛行機や新幹線もいいけれど、目的地までの行き帰りも旅の一部。摩周丸に会えたおかげで、懐かしい思い出とともに、ゆっくりとした楽しい時間の使い方を思い出しました。行く先々で出会った温かい人たちと、あの娘の笑顔と優しさとともに。

(ま)