「木を見て森を見ず」と言うのは、「全体像を見失ってはいかん!」という教訓。
「木を見てから森を見る」のは各論(木、枝・葉)に引っ張られて全体像(森)を整理するのが難しい。だから「森を見てから木を見る」ことが大切。
このことって実はいろんなことに当てはまるような気がしていて、
で書いたこともそう。
ほかにも例えば、「リスクのアセスメント業務」を行うとき、私は、いきなりフレームワーク(枝・葉)を持ち出す前に、まず全体像(森)から押さえたいと考える。
- 対象の事業、規模は? リスク認識は?
- リスク管理体制/危機対応態勢は? 実態が伴っているか?
- リスク管理規程/リスク管理手順などルールの体系はどうか? ルールの実効性はどうか?
- 全体のシステム構成は? 重要システムや重要情報は何か? これらを利用する人や属性は?
などなど。
で、直接聞いた言葉だけを捉えるのではなく、めいっぱい妄想…ではなく想像を膨らませて、できるだけ全体像を〝絵〟にするようにしている。頭の中で相手と同じイメージを共有できれば、あとの議論が楽だし、言葉よりも絵のほうが直感的にイメージを共有しやすいから。
ところが情報システム部門の技術者などは、えてして技術論・ツール論に陥りがち。各論(木、枝・葉)からスタートすると、まず言葉の定義から始まり、各論テーマの網羅性は…、相互の関連は…、など理論武装に多くの時間を費やしてしまうことが多い。
一方コンサルタントでも、細かいことから確認したがる人がいる。必要な実務経験に乏しく、世の中の規格・基準が自分の後ろ盾のような人…言い換えれば知識(木、枝・葉)だけで勝負しようとする人に多いかな。
まぁいずれにしても世の中(特に企業内)は、規格・基準や定石に溢れているね…安心できるものね。規格・基準や定石が効率良いものであることは否定しないが、あまりにもこれらに頼って、知識(木、枝・葉)だけで勝負していると、いつのまにか「考える」ことをしなくなり、いずれ生成AIにとって代わられるよ。
一見、効率的に思える規格・基準や定石を積み上げていく思考法(木を見て森を見ず)は[〇/×]評価になりがちで、注意しないと非常に発散しやすい。さらに一番の問題は、[〇/×]評価では[×]はすべて問題点で改善しなければならない…ように思ってしまうこと。しかし、たとえ[×]があっても、ほかでカバーしていればOK…という評価もアリだし、たとえ[×]があっても俯瞰的に全体像からみたら[×]でも差し支えない…という評価もアリでしょ。
「木を見て森を見ず」が陥りやすい落とし穴だよ!
そして一見、手戻りが発生しそうな俯瞰的な思考法(森から見る)は、実は仮説検証しながら発散を防いでいる。仮に手戻りがあったとしても、この手戻りに中にも重要なヒントが隠されているのだよ。
(ま)