若者の表現力や文章力が乏しいと感じる今日この頃、新幹線の中で読んだWedge11月号の特集…「日本の教育が危ない」。ページを開くと、いきなり表情のない金太郎飴君たちの挿絵が飛び込んできて…。
気持ち悪いこの絵が、まさに、まさに、まさに、現代社会を表しているよう。
思い返せば中学・高校では、教科に関係なく「詰め込み式の暗記」が要求された。全員に同じように、当たり前のように、得意な教科も苦手な教科も。
- 英語では、ひたすら単語、文法、慣用句を(もっと、リスニングやスピーキングの機会を!)
- 日本史や世界史では、ひたすら年号を(文化、宗教、哲学とともに、歴史の流れを!)
- 数学ですら、ひたすら問題を解く定石を(数字だけではない、もっと空間を、宇宙を!)
- 国語に至っては…例えば作者の心情なんて読み手が自由に感じればいいと思うのだが、ひとつの正解を強要される(もっと自由な読解、感性を!)
といった具合。ぜんぜん面白くなかったなぁ。
学校の成績がいい奴が、本当に頭がいいのか?人間的に魅力的か?チームを引っ張っていけるのか?と言うと、必ずしもそうではないと思けど。
会社組織でも似たようなもの。マネジメントは従来のやり方を踏襲し、「当たり障りのない正解」ばかり。金太郎飴君が大人になって、親になるのだから、当然と言えば当然だけど、長いものに巻かれて、ゾッとするわっ!
不確実性の社会では、「答えのない問いに対して問題提起し、試行錯誤・仮説検証を行うこと」、「過去の延長線だけで考えるのではなく、感覚・感性・ひらめき・斬新なアイデアこそ求められている」と思うのだが…。
国立教育政策研究所による「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」によると、
OECD生徒の学習到達度調査(PISA):国立教育政策研究所 National Institute for Educational Policy Research
- 数学的リテラシー、科学的リテラシーは世界トップレベル
- 読解リテラシーの問題で、日本の生徒の正答率が低かった問題には、テキストから情報を探し出す問題や、テキストの質と信ぴょう性を評価する問題などがあった
- 読解リテラシーの自由記述形式の問題において、自分の考えを他者に伝わるように根拠を示して説明することに、引き続き課題がある。
との事。つまり、早く効率的に「答え」にたどり着くことが求められてきたあまり、〝考えること〟をしなくなった結果を顕著に物語っているってことだな。
でもね、日本には「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」に登場する博士ちゃんたちがいる! 彼ら彼女らは興味を持ったことに真摯に向き合い、専門家顔負けの知識と行動力で、これでもかっというくらいトコトン追求している。そんな博士ちゃんたちの目は輝き、表情はイキイキしていて、なによりすごく楽しそう!
そして博士ちゃんたちを見守っている大人たちの表情も穏やか。
こういう博士ちゃんたちと、博士ちゃんたちを応援する気持ちがあれば、まだまだ捨てたもんじゃない!
(おまけ)
世の中、「ヤバイ」と言う言葉が蔓延している。本来の「ヤバイ」は、「危険」とか「怪しい」ときに使う言葉だと思うが、気がついたらそれが、美味しい、すごい、強い、かわいい、びっくり、緊張する…などでも使われて。
ボキャブラリーが乏しい(なんでもヤバイと言う)のも〝やばい〟けど、その時のシチュエーションで、ちゃんと相手に伝わるのも〝やばい〟ね!
またいつのまにか年配者(私)も普通に〝やばい〟と言ってるのも〝やばく〟ないか?
(ま)