徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

みちくさ探検隊monologue🤔 世界のWell-beingを覗いてみた…幸せって測るもの?

個人のウェルビーイングに留まらず、ウェルビーイング社会、ウェルビーイング経営、ウェルビーイング教育など、ウェルビーイング(Well-being)が大はやり。

WHO世界保健機構の憲章によると、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(Well-being)にあること」と定義されていて、持続可能性個人の権利が重視されている。そういう意味では、単に「幸せ」「喜び」を示すHappinessとは、範囲も深さも異なる概念。

 

「世界幸福度報告書」は当初からウェルビーイングに焦点を当てているそうで、今年も国際幸福デー(3月)にあわせて公表された。

1ヶ国あたり無作為に選ばれた15歳以上約1,000人を対象に、

  • 社会的な支え(福祉や教育、親戚や友人関係、地域社会など)
  • 1人あたりGDP(経済的な豊かさ)
  • 健康寿命(心身ともに健康でいられる期間)
  • 人生の選択の自由(自分の人生を自分で選択できているか)
  • 寛大さ(他者への思いやりや寄付の精神があるか)
  • 汚職の認識(ビジネスや政府への信頼)

について調査・分析。お国柄や歴史、文化、風習、環境などが異なるので、比較することには多少の違和感はあるものの、あくまで参考材料として覗いてみると、

1位は9年連続フィンランド、2位アイスランド、3位デンマーク、4位コスタリカ、5位スウェーデン、6位ノルウェーと、教育や医療制度など社会的支援が充実している北欧諸国が目立つ。中米コスタリカは6つの指標の中で「④自由」が突出して高い…イメージなかったけどそうなんだ。

日本は147カ国中61位で、G7ではダントツの最下位(ドイツ17位、米国23位、カナダ25位、英国29位、フランス35位、イタリア38位)。その日本の内訳はというと…、

この結果をみて、なんだか悲しい気持ちになった。

  • 日本の「③健康寿命」は長年世界トップクラスだし、「②一人当たりGDP」も上位なのに、全体的な幸福度は低いってどういうこと?
    • 長生きしても日々の充実を感じられず、将来に対して希望を持てないということか。物価高、年金や医者不足など、社会保障制度に対する不安も背景にあるのだろうか?あるいは経済格差の二極化が進んでいるのだろうか?
  • 「⑤寛大さ」が際立って低い。
    • 寄付やボランティアへの意識が低いのか?気持ちに余裕がなく自分のことで精一杯なのか? 「②一人当たりGDP」は上位にもかかわらず…。
    • 私は阪神・淡路大震災で被災したとき、人間は極限状態になると本性がはっきり現れる(助け合おう vs. 自分さえ)ということをイヤというほど経験した。自国ファースト、自分ファーストが蔓延していくとますます…。
  • 「④人生の選択の自由」が低いのがとっても気になる。
    • 「自分の意志で人生を選べていない」ってどういう感覚なのかよくわからない。日本の組織というのは波風を立てないことが大事という風潮や同調圧力、失敗を許容しない社会構造性別や年齢による制約などが、いまだに根強く残っているからだろうか?
    • 私はこれまであまり疑うことなく堅実な道を歩んできたが、この歳になって振り返ると、人生の節々でもっともっと選択肢があったなぁ…、挑戦するチャンスはたくさんあったなぁ…とは思う。だからと言って今、不幸だとは思わないけど。

 

いずれにしても経済的な豊かさ(②一人当たりのGDP)だけでは幸福度は高めることはできないということ。それどころか経済的な豊かさだけを追い求めはじめると、その欲求は際限がなく、どこまでいっても満足しないだろうに。だから、「②一人あたりGDP」や「③健康寿命」とあわせて、〝精神的な健康〟〝心理的な関係(頼り・頼られる絆)〟を意識することが不可欠のように思う。

世界幸福度報告書でも、「世界中のどの地域でも、SNSなどの利用頻度が高いほど、孤独感が高まり、生活満足度は低下する」とし、社会的つながり、感情的な絆の役割、対面での交流こそが幸福をもたらすと指摘している。

ちなみに多くの国や国際機関がWell-beingを定義し、それを測定するための具体的な指標を開発している。

OECD(経済協力開発機構)では、「OECD Well-beingフレームワーク」を構築し、加盟各国のWell-beingを評価。

Measuring well-being and progress | OECD

日本でも内閣府が、「満足度・生活の質を表す指標群(Well-being ダッシュボード)」という独自の指標群を策定。

Well-being(幸福度)に関する取組 : 経済財政政策 - 内閣府

しかし!指標やフレームワークは参考にはなるが、測定して数値化することにどれだけの意味があるのだろう? そもそも〝幸せ〟って小さな幸せから大きな幸せまで人それぞれに感覚的なもの。だからウェルビーイング指標に合わせる必要はないし、後ろ向きになる必要もない。

ではどうするか? 掘り下げていくと、ウェルビーイングを構成する5つの要素…PERMA理論に出逢った。

  1. Positive Emotion(ポジティブな感情): 喜び、感謝、愛を感じる。
  2. Engagement(エンゲージメント): 物事に没頭する(フロー状態)。
  3. Relationships(人間関係): 他者とのつながりや支え。
  4. Meaning(意味・意義): 人生や仕事に目的を見出す。
  5. Accomplishment(達成): 目標を達成する感覚。

うーん、これを私なりに噛み砕いて解釈してみると、

人は興味を持つと熱中(E)する。⇒熱中すると上手くできる(A)ようになる。⇒上手くできると嬉しい(P)。⇒さらに上手くできると人からも褒められ信頼(R)される。⇒信頼はさらなる自信となり、目的意識(M)を育む。⇒さらなる興味や強みを生む原動力になる、というポジティブ・スパイラルが生まれるということだな。

 

自己肯定感が高いほど、日々の満足感や幸福度も高まるはず。 くれぐれもWell-Beingという言葉に振り回されないように、Well-Beingという言葉だけが先走りすることのないように。感謝の気持ちを忘れず、自分らしく笑って生活すること…それこそが〝幸せ〟なのではないだろうか。

(おわり)

 

生きていくということ…自分にとっての世界99とは

大都会東京のターミナル駅やオフィス街では、多くの人が黙々と歩いている。目的地はそれぞれ違うはずなのに、それなりに整然と。しかしそこに笑顔はなく、近づくな!触れるな!邪魔するな!…というオーラを発しながら、イライラしているというのか、ピリピリしているというのか、一様に不機嫌な顔をしているように感じる。まぁ確かに人が多いと、自分のペースで歩けなかったり、常に周りを気にして気を張っていたりすると、思い通りにできないストレスがたまるとは思うが…。

こんなにたくさんの人がいるのに、孤独感、疎外感を感じるのはそのせいか?

 

一方で、人と関わらないで生きていくことなんてできないのだから、自分は多少我慢してでも、できるだけ波風を立てないことが大事といった心理(真理?)みたいなものがある。実際、人は誰でも多かれ少なかれ、ある時は相手に調子を合わせ、ある時は背伸びしたり偉ぶったり、ある時は謙遜して相手を持ち上げながら、一生懸命に生きている。あえて言い換えると、ある時は人に媚び、ある時は人を見下しながら…ということか⁉ そんな心理を極端に描くとこうなるのだろうか?

終始、気持ち悪いのに、結局最後まで読んでしまうほど、じわじわと強烈な感覚に包まれた。

上巻では、相手に合わせて自分を「分裂」させ、コミュニティごとに世界①、世界②、世界③・・・、を構築していく。私たちも現実社会では複数のコミュニティを持っているが、この作品の異常なところは、それぞれの世界以外を否定する、関わらない/関わらせないということ。だからその都度キャラクターを変えて、その場をやり過ごす。その方がラクだから?まるで多重人格者のように。

そして下巻では、そんな世界がリセットされた結果、生み出されたのは感情も意思もない表面だけの「いい人」。「汚い感情」は一切存在しない。一見、安心して生活できそうに思えるが、世の中がみんな画一的な性格や感情の人だらけになったら…。実際、作品の中でも、社会の分断、差別と羨望、経済格差、受容と忌避など、「汚い感情」は心の中で消えることはない。怖い、怖い‼

 

ちなみに、イギリスの哲学者=カール・ポパーも3世界論を提唱していて(世界99とは全く異なる)、

  • 世界❶…物質とエネルギーからなる物理的な世界
  • 世界❷…心や意識の世界
  • 世界❸…客観的知識の世界

との事。世界❶❷❸は人の中で密接に関連しながら成長し、特に世界❸はどんどん自律していくのだそう。

理解力や表現力が不足していてうまく言えないのだが、世界99では世界①②③毎に世界❶❷❸が存在する。⇒ということは個人としてのアイデンティティは失われ、各コミュニティに操られているだけの存在になる。しかも無意識のうちに。⇒ということは世界①②③では世界❸は自律できず存在できない。

こんなふうに考えると、世界99は、ラクで安心した社会をめざした結果、安心できるどころか、ますます社会と心の歪みを生むだけの閉鎖的な人間を生むに過ぎないという警鐘であり、「汚い感情」も含めて感情のままに笑い、悲しみ、怒るからこそ人間であり、喜怒哀楽は相手があってこそ…というメッセージが込められているように感じた。

 

(PS.1)

最近は人と触れ合う機会がどんどん狭くなっていくようにも思う。リモートワーク、ネット通販、コンビニやスーパーはセルフレジ、セルフ・ガソリンスタンド、図書館も自動貸し出し機、定期券や指定席券はネットや自動券売機、空港でも自動チェックインや自動手荷物預け機などなど。労働人口減少のなか、誰とも喋らなくても済ませることができる自動化・効率化は不可欠で便利だが、なんか寂しさも感じる。…と同時に、世界❷が小さくなり、知らずうちに喜怒哀楽を感じにくくなりはしないか…⁉

 

(PS.2)

WBCで侍ジャパンが準々決勝ラウンドでベネズエラに敗退した。もちろん残念ではあるけれど、〝あぁ、やっぱりな〟と感じたのも事実。というのも、今年の先発オーダーは4番打者がずらり、投手リレーは先発投手が次々に登場。打順であれば、出塁率が高い選手を→進塁打でつなぎ→長距離バッターで還す。投手であれば、先発→中継ぎ(ホールド)→抑え(クローザー)の連携が重要なのに、くしくもホームランバッターや先発ピッチャーだけでは勝てないことを証明してしまった。

リーダがいればフォロワーも必要不可欠だし、ヒーローの裏には陰の功労者が必ずいる。つまり、均一で定型的な人だけが集まったチームやコミュニティなどうまくいかない、ありえないということ。

(おわり)

 

みちくさ探検隊duet👫わくわくする瞬間…ノスタルジーに耽るプチ散歩

旅の魅力は、そこでしか感じることができない空気に浸り、そこでしか観ることのできない絶景に出逢い、そこでしか味わえない美食に舌鼓を打ち、そしてなにより時間を贅沢に使って非日常を楽しむこと。

■ ついに来た、原岡桟橋

木製の桟橋と裸電球の並ぶ昭和レトロな景色。文字通りノスタルジックな風情うっとり。どこか郷愁を誘うような、懐かしさを感じさせるような…。

陽が高いうちは靄がかかっていて富士山は見えず、今日はダメかもしれないな…。するとトワイライトタイムが近づくにつれ、なにやらうっすらと輪郭が…、えっ、もしや…。それはゆっくりと、本当にゆっくりと姿を現しはじめ、ついには夕焼けと桟橋と富士山のシルエットが見事に競演。目の前にひろがる神秘的ともいえるこの光景、あぁ、なんて美しい。

さざなみと潮騒、鳥の鳴き声、集まった人たちのおしゃべりでさえ、この景色と調和して、なんと静かで穏やかな時間なのだろう。景色のほうから語りかけてくるよう…。桟橋の裸電球が波間にきらめき、すべてが澄んでみえる。ずっとこのまま黄昏ていたい。

今、写真を眺めてまたうっとり。こんなにも心に響く出会いは久しぶり。

■ ちょっと寄り道、燈籠坂大師の切通し

原岡桟橋に向かう途中、これまた不思議な空間に寄り道。魔宮への入口みたいでちょっと不気味な灯篭坂大師入口を抜けると、おおきな切通しトンネルが出現。光の加減でいろんな表情をみせる。手掘りだって?側面にはツルハシ⛏やノミ⚒️の跡が鮮明に残っていて、そのせいなのかヒンヤリとした空気のなか、得も言われぬパワーを感じる。

内房に来たら新鮮なお魚が食べたい…ということで、ランチは「カフェ&キッチンきまぐれ」で。国道から少し奥まった隠れ家的な店。店主が東京湾で釣ってきたという「太刀魚の蒲焼き風」が絶品。香ばしくふわふわで自家製のタレもいい感じ。お刺身とのセットでいただきました。

 

暖かくうららかな今年2月下旬の土曜日:

東京駅八重洲南口→🚌国道竹岡→🚶‍♂️カフェ&キッチンきまぐれ👍→🚶‍♂️燈籠坂大師の切通し→🚶‍♂️JR竹岡駅→🚃JR富浦駅→🚶‍♂️原岡桟橋→🚶‍♂️枇杷倶楽部→🚌バスタ新宿

いまだ余韻を楽しんでいる南房総のプチ散歩。

 

(PS.)

さかのぼること4ヶ月ほど前、昨年秋には北総(下総)で江戸後期にタイムスリップ。

そのまえに関東屈指のパワースポット、香取神宮へ

大きな杉に囲まれた荘厳な雰囲気。大きな石燈籠が建ち並ぶ参道をすすむと、朱塗りの総門。石段を一歩づつ上るたびに、邪気が払われていくよう。

参拝のあと、裏参道から切通しのような道を抜けた先にひっそりとたたずむ「野の花庵」。注文した「野の花そば」は、十割そばに五平餅風の蕎麦がき、蕎麦の実のスープと蕎麦尽くしのセット。そば粉の香りが鼻に抜ける。古民家が醸し出すしっとり落ち着いた空間でとても贅沢な時間を過ごしました。

いよいよ北総の小江戸・佐原

小野川沿いを中心に歴史的な街並みが風情ある景観をつくり出している。しかも、まるで映画のセットのような建物のほとんどが、今も現役で使われているからオドロキ。忠敬橋周辺は人も多いが、あちこち店を冷やかしながら共栄橋~開運橋あたりまで来ると観光客はまばら。それでも、まるでタイムスリップしたかのような…、この街だけ昔のまま時間が止まっているかのような…、とても不思議な感覚。

ジャージャー橋(樋橋=とよはし)の目の前、〝伊能忠敬ゆかりの店〟と書かれた「珈琲遅歩庵いのう」を発見。入ると伊能家17代当主が営んでいるという…まさにコーヒーを入れてくれたご主人がその人だと。嬉しいやら恐縮するやら…。店内には、当時のものだという古い欄間や調度品が、そのまま使われていて、しばし江戸時代後期に思いを馳せる。

そして佐原と言えば〝うなぎ〟。というわけで締めは「麻生屋」。

肝焼きと白焼きで一杯、香ばしくて私たち好み。さすが水郷の恵み。お酒がとまらない!

「元祖すずめ焼き」って雀?…かと思いきや、鮒を背開きにして串焼きにしたものだった…、さすがにね。

 

小春日和の昨年10月下旬の土曜日:

バスタ―ミナル東京八重洲→🚌佐原香取→🚶‍♂️香取神宮→🚶‍♂️野の花庵👍→🚶‍♂️小江戸・佐原→🚶‍♂️麻生屋👍→🚶‍♂️香取市役所→🚌バスタ―ミナル東京八重洲

街並みと美食を堪能し、のんびりと散歩した小江戸のプチ散歩でした。

(おわり)

 

AI技術の進化からエネルギー問題へ…ビックリ仰天‼️

今や生成AIは驚異的に進化し、AI自動運転、AIロボット、AI問診、AIカリキュラムやAI授業など、業種を問わず利活用の場は留まることを知らない。便利さと背中合わせのAIリスクについてはこれまでも何度か書いたので、今回は別の角度から気になっていることを調べてみた。

AIは膨大なデータを学習して分析し、あらたなコンテンツ(文章・画像・音声など)を自ら作り出す技術。このためAIには大容量+高速処理が不可欠なので、AI専用GPUサーバは、従来の約10〜50倍以上の消費電力が必要との事。これはGPUサーバ1台で数世帯から10世帯分(GPUサーバ1日で一般家庭の数日分)というから、ビックリ仰天😬

 

ではその電力は、どうやって賄っているのだろう?

世界の発電事情をみてみると…、「電気事業連合会:主要国の発電電力量構成比」によると、

ブラジルとカナダは水力発電、フランスは原子力が突出しているが、全体的には火力発電が多いように見える。日本ではとかく原子力発電が話題にのぼるが、実は火力発電が約7割を占めている。

火力発電に使われる化石燃料は、石油が約50年、天然ガスが約50年、石炭は約130~140年で枯渇すると言われている(えっ、もうアッという間じゃないか)ので、今から次の準備をしておく必要性をあらためて実感した。

 

IEA(国際エネルギー機関)の「World Energy Outlook 2025」での予測によると、

太陽光発電を筆頭に再生可能エネルギーによる発電が中核になると予測しているが、はたして世界の選択は?

  • 原子力?…原子力発電所は、基本寿命の40年を超えて長期運転が主流らしく、日本でも最大60年と規定されたし、フランスやイギリスでは10年ごとの安全審査クリアを前提に事実上の無期限運転が可能らしい。フランスやイギリスは地震とかないのかな? それでも設備の老朽化はすすむだろうに。
  • 再生可能エネルギー?…世界的にクリーンエネルギーが叫ばれているものの、高い初期投資や自然環境への影響に加え、天候による発電量の不安定さなどを考えると、需要の拡大に供給が追いつくかどうか⁉

 

ところで石油が約50年で枯渇するというのに、国家間の対立による紛争地域では、戦車や戦闘機が暴れまわっている。

  • 戦車の動力源はディーゼルエンジンが主流で、燃費は一般的に1㍑あたり約200m〜400mだって⁉
  • 戦闘機は「ケロシン」と呼ばれる高純度のジェット燃料で、1秒で約5㍑、最も効率的な場合でも1㍑あたり約315mだって⁉

もう…ビックリ仰天😬 地球温暖化や自然破壊など、自分で自分の首を絞めているようなもの‼️

 

こんなことを綴っていると、ふと糸川英夫博士の著書を思い出し、書棚の奥から引っ張り出して読み返してみた。「見えない洪水ケースD」は大学生の頃、「人類は21世紀に滅亡する⁉」はその15年後、バブル崩壊後の深刻な不況の頃。

久しぶりに捲るページは色褪せているものの、当時受けた衝撃が蘇る。人口増加、エネルギー問題、食糧問題、異常気象など、現代社会で我々が直面している問題を50年近く前から予測し、警鐘を鳴らしていることに、あらためてビックリ仰天😬

しかし現実はその警告を無視し、目には見えない洪水が、ひたひたと、でも確実に押し寄せている。

(おわり)

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みちくさ探検隊monologue🤔「新たな組織のカタチ」を考察…優秀な人材との協働を目指す未来へ

先日、お世話になっている会社との新年会にて、「年明け早々、退職者がでて…」と。いわゆる〝あけおめ退職〟なのだそう。「中途採用を募集しても、なかなか良い人材が集まらない」「採用できたとしても、長続きしない」とはよく聞く話し。社員を確保・定着させたい企業と、(良く言えば)キャリアアップを望む従業員/(悪くいえば)気に入らないことがあるとすぐ辞める従業員とのあいだには、依然として目に見えないギャップが存在しているよう。

さらに、

  • 「従業員を確保したい企業」がある一方で、「Panasonicや日産のように、会社の利益を確保するために大規模なリストラ」が行われる矛盾。
  • 「従業員を確保したい企業」の一方で、「転職をあおるような転職エージェント」が活況であることの矛盾。

など、大転職時代が抱える社会構造の矛盾を感じざるを得ない。なんともやりきれない!

 

〝優秀な人材を確保したい/組織を活性化したい/ビジネス規模を大きくしたい〟といった課題解決=もはや〝願い〟のためには…、そして社会構造の矛盾に立ち向かうためには、従来の「ヒエラルキー組織」のなかだけで考えるのではなく、新たな組織のカタチも選択肢に加えたらどうか。

ヒエラルキー組織

ホラクラシー組織

ティール組織

DAO

ピラミッド型の階層的・中央集権的な組織構造

全社員が平等な権限を持つ、非階層・分散型の組織構造

信頼で結びついてい

メンバは対等な関係

パーパスは利益追求だけでなく社会貢献や組織の使命を重視

ガバナンストークン(電子証票)を持つ者は誰でも参加

人による管理

自由度は低い

ルール(憲法)による管理

自由度が低く、実践的に運営

ルール化してない

自由度が高く自発的

参加メンバが自主的に共同管理

役員や管理職が意思決定や指示を行うトップダウン型

指示・命令による統制が軸

ロール(役割)単位で意思決定

自律的な判断と責任の共有を重視

一人ひとりが自立し、現場メンバが必要に応じて意志決定

セルフマネジメントが軸

コミュニティで意思決定

限定的な情報共有

すべての情報を共有

すべての情報を共有

すべての情報を共有

 

長い間ヒエラルキー組織になじんできた大多数の人たちにとって、ホラクラシー組織やティール組織は一見、魅力的に映るかもしれないが、業種や事業特性を熟慮して選択することは言うまでもない。またいざ移行するとしても多くの壁が立ちはだかる。

  • 組織の存在目的(パーパス)の深い浸透
  • 目的や目標に基づいて自律的に行動できる高いセルフマネジメント能力
  • 画一的な管理プロセスの運用、リスクマネジメント、評価制度の見直し・再構築
  • 長年根付いた従来の組織文化と大きく異なるため、変化への抵抗を抑えることや心理的安全性の確保、など

しかし、広い視野で、長いスパンで、部分的にでも、組織のカタチを見直してみるのは一考の価値があるように思う。

 

たとえば、フリーランスの私がお世話になっている中には、

  • フリーランサーやパートナ企業の方々とバーチャル組織を作って、お客様の課題に挑み、そして解決(A社)
  • 秀でたプロフェッショナル集団によるコミュニティ企業(B社)

をキャッチフレーズとしている会社があって、共通する特長は、

  • 会社の正社員は、社長以下、取締役、事務担当など最小限。
  • 顧客サービスの実務の多くを担うのは、提携関係(アライアンス契約)にある自立している個人事業主やフリーランサー。しかも個人事業主やフリーランサーは、人が人を呼ぶことで輪を広げてきた信頼できる集団(信頼できる人が連れてきた人は、やはり信頼できる)。
  • さらに個人事業主やフリーランサーは少なからず顧客を持っているので、一人ではできない規模や得意分野以外でも案件を創出できるようになった。
  • 案件対応においては、個人事業主やフリーランサーで自律的にプロジェクトチームを組んで対応。

ちょうどティール組織において、従業員を個人事業主やフリーランサーに置き換えたようなイメージ。

フリーランスの私にはとても居心地がよく、ときにはプロジェクトメンバであり、ときにはプロジェクトリーダであり、ときにはフォロワーであり、ときにはコーディネータを演じる。各々は自立して自発的に活動しているので、チームを組んだメンバが持っているノウハウ(技術、セッションの進め方、資料の構成、勘どころなど)バックグラウンド(キャリア、活動フィールドなど)に接するのも超刺激的。

先にも書いた今の組織が抱える課題(組織の活性化、優秀な人材確保、ビジネス規模拡大)に対する答えの一つになるかもしれないなと感じる。

 

いずれにしても優秀な人材を確保するためには、「会社の存在意義」「そこにいる人」そのものが魅力的であることが大前提! そのうえで、優秀な人材を〝抱える〟ことに注力するか? 優秀な人材と〝協働する〟ことに注力するか? そろそろ転換期にきているのではないだろうか。

(おわり)

 

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少しづつ関心が薄れゆく中で…ことしも阪神淡路大震災1.17のつどい

1995年1月17日(月)午前5時46分、あれから31年。

今年の灯籠で描く文字は「つむぐ」。震災を知らない世代が増える中、〝当時の記憶や教訓を誰かと分かち合いながら、未来につないでいく〟という思いが込められているとの事。

とはいえ人々の記憶や関心は年々薄れていく。かくいう私自身も実際に阪神淡路大震災に遭遇するまでは、地震のニュースを見てもどこか他人事で、大変だなぁ…くらいの感覚でしかなかった。

震度4以上の地震がここ1ヶ月以内だけでも…、

  • 1月13日 石川県能登地方 震度4、震度3
  • 1月11日 岩手県沿岸北部 震度4
  • 1月9日 千葉県北東部 震度4
  • 1月9日 秋田県内陸北部 震度4、震度4、震度3
  • 1月6日 島根県東部 震度5強、震度5弱、震度4
  • 12月31日 岩手県沖 震度4
  • 12月30日 奄美大島近海 震度4
  • 12月21日 青森県東方沖 震度4

まさに日本中が揺れている感じ。大きな地震のニュースが流れるたび、被災地の悲惨な映像が直視できない。否が応でも当時と重ね合わせて心が痛む。怖く苦しく悲しいからこそ、いつまでも胸の中に留めておきたい(おくべき)出来事。

 

昨年のこの日にも書いたことだが、大災害が起こる(あるいは追悼の催し)の度に、「風化させないように語り継がなければならない」と言うが、本当に語り継がなければならないのは、悲惨なことが起こった事実よりも(事実は文字として残る)、そのとき実際に体験したさまざま想いであり教訓…

  • 大きな被害の原因はなんだったのか、被害を最小限に抑えるためには何をすべきなのか
    • 耐震基準の見直し・強化、防波堤・防潮堤の整備、ライフラインの確保など
    • 実効的な避難訓練の実施、トリアージの知識やAEDの使い方も
    • 救援活動(警察、消防、病院など)を迅速に行うための準備
  • 被災者支援のために準備しておくべきことは何なのか
    • 身近な人や家を失った人への支援、心遣い、メンタルケア
    • 避難場所、仮設住宅や仮設トイレ、食料など
    • 有効なボランティアの活動(来てほしいとの声の反面、素人は来てくれるなといった空気)

現実はどうか? 

阪神・淡路大震災(1995年1月17日:最大震度7)以降に発生した、震度7以上の地震新潟県中越地震(2004年10月23日)、東日本大震災(2011年3月11日)、熊本地震(2016年4月14日)、北海道胆振東部地震(2018年9月6日)、能登半島地震(2024年1月1日)。度重なる巨大地震で過去の教訓は生かされているのだろうか? 紡がれているだろうか?

阪神淡路大震災のときは全国から支援の手がとどき、本当にありがたかった。ボランティア元年ともいわれている一方で、受入態勢や物資配布に課題が。⇒今は自治体やNPOなどによる情報提供や、現地の災害ボランティアセンターなどノウハウも蓄積⇒ただ神戸のNPO能登半島地震のボランティアで現地入りしたとき、神戸の時と何も変わっていない…と嘆いた言葉が印象的

 

最近は地震が多いとの印象かもしれないが、気象庁の震度データベース検索(震度データベース検索)で過去の地震発生回数を検索してみると、

  • 2016.2~2026.1:震度4以上=771回/震度5弱以上=144回
  • 2006.2~2016.1:震度4以上=774回/震度5弱以上=149回
  • 1996.2~2006.1:震度4以上=770回/震度5弱以上=128回
  • 1986.2~1996.1:震度4以上=292回/震度5弱以上=35回
  • 1976.2~1986.1:震度4以上=165回/震度5弱以上=10回

10年毎の統計では、ほぼ同じ回数で推移しており、特に増えたわけではないことがわかる。ちなみに30年前から発生回数が急増しているのは、1995年の阪神・淡路大震災を契機に、全国的に地震計設置が飛躍的に増加、特に強震計は30年前の約10倍以上設置されたことによると推察。このため緊急地震速報などに触れる機会が多くなり、おかげで防災意識への注意喚起にも一役買っていると思う。

1.17、想定される大規模地震地震災害 : 防災情報のページ - 内閣府)をふまえ、あらためて備えを確認するとともに、優しく助け合うことは人が持つ真理というか 摂理というか…、礎というか…。こんなあたり前のことを再認識する日にしたいと思う

(おわり)

 

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墨と戯れ✍️🖌️一文字揮毫…あなたもわたしもみんなが笑顔!

毎年楽しみにしている熊野本宮大社の一文字揮毫。昨年12月13日に、九鬼宮司が新年(2026年)への願いを込めてしたためた一文字揮毫は、〝1年を笑って過ごせるように〟「笑」の一文字。「笑う門には福来る」、「泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生」。明るくていいですね!

ちなみにベネッセコーポレーションが昨年12月15日に発表した、小学生が選ぶ2025年の漢字は…「楽」。文字通り楽しく、愉快で、ワクワクして。天真爛漫、明朗快活、小学生の君たちの笑い声が聞こえてきそう。

書を嗜んでいた亡き父が90歳を過ぎて書いた「笑顔」。本当に笑っているような気がして、当時Tシャツをつくり、たくさんの人に配りました。今あらためて眺めると、笑っているようでもあり…、怒っているようでもあり⁉ もしかしてオヤジ自身の顔だったのか⁉

今年も笑顔で駆け抜けよう…というわけで、躍動感あふれる干支とともに書初めはこれ。ネットから書道家の方々のすばらしい揮毫をお手本にさせていただきました。この字がうまく書けたと思ったら、今度はこっちの字が気にいらない…の繰り返しで、気がついたら何枚?何十枚?いやもっと書いたかな? それでもお手本には及びません。

みなさんにも、嬉しいこと、楽しいことがたくさんありますように。

 

(PS.)

毎年、漢字の日(12月12日)に京都・清水寺で発表される「今年(2025年)の漢字」は「熊」でした。ちなみに僅差の2位は「米」だそう。

(音羽山・清水寺HPより)

住職の芸術的な書には感服しますが、毎年思うのは、いくら今年1年の世相を表しているとはいえ、あまりにそのまんま! 洒落もオチもなく、明るい印象もありません。ほとんどのメディアが、熊野本宮大社の一文字揮毫ではなく、清水寺を扱うのが不思議なくらい。

たかが漢字一文字ですが、今年を振り返って辛く暗い気持ちになるよりも、「一文字揮毫」「小学生が選ぶ今年の漢字」のような明日へのエールを書にしたほうが、楽しく嬉しいメッセージになりますよ⇒清水寺御中。

(おわり)

 

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