徒然素心ひとりごと

[徒然]…時間があるときに、[素心]…そのとき感じたことを、[ひとりごと]…感じたままにつぶやく、エッセイときどきコラム風

社長! このままでいいんですか?

この仕事をしていると、アセスメント報告会などで社長や役員の方にお会いする機会も多く、

「限られた時間の中で当社のことをよく理解してくれた」

「課題が明らかになった。具体的な進め方について継続して支援してほしい」

などの言葉をいただいたときは、嬉しいと同時にホッとします。

そして、組織が実際に改善に向け動き始めたときは、このうえなく嬉しいですね。

 

で書いたことを実践しているつもりですが、そう何度もお会いできるわけではないので、一発勝負みたいなところもあるのですが…。 ただそこで背伸びしてもしょうがないので、結局はできるだけ自分の言葉で話すようにするしかありません。

 

一方で、大きな壁も存在します。

大手物流業の情報システム部長:グループ会社全体のITガバナンスを構築したいと

課題認識はあるがゴールのイメージ(なりたい姿、あるべき姿)は描けていないという。ゴールイメージがないのにどうやって課題(ゴールと現状のギャップ)の洗い出しを? また推進するメンバがいないとのことで、これまで計画的に実施してきたわけでもなさそう。

💢一番の課題は、まず〝あなたの後継者づくり〟ではないですか!?

 

大手製造業のリスク管理部長:指摘した課題に対して「他社はどうやっているのか?」と

質問をもらったので他社事例を4つほど紹介するが、ことごとくネガティブな反応

💢質問をいただいたから事例を紹介したのに、いちいち反論されても困ります。できない理由として今の組織枠の中だけで考えるのではなく、一旦これまでの慣習から脱皮して知恵を絞りませんか? 全社の課題なんですから!?

 

中堅素材製造業の情報システム部長:アセスメント報告書の内容を上層部にもガツンと言ってほしいと

社長報告会の日程を調整するも直前でリスケ要請。3回目の調整でようやく当日を迎えたが、社長は前の会議が長引いているとの事で、役員が同席されたものの「ん?内部の会議じゃないの?」

💢まず興味を持ってください!? 無関心が一番の罪です

〝社長、このままでいいんですか!?〟 お会いできなくて残念です。

(ま)

便利そうだけど…怖~い…〝Society5.0〟 でもね、一人ひとりの意識で世界は変わる!

AIが身の回りにあふれる中、政府が〝Society5.0〟をPRしています。

内閣府:society5.0-科学技術政策

は、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、人間中心の社会がSociety5.0だ」と説明されていますが、よくわかりません。

 一方、経団連の動画では、

具体的なイメージを見ることができます。

 

この動画を見たとき、いろいろ便利になるのだろうけど、それより正直、ゾッとしました。職業病かも!

  1. AIがいろいろ教えてくれたり、やってくれたりするので、人は考えたり動いたりする必要がなくなり、その結果、筋力や思考力、創造力が衰えていき、考えること・行動することを放棄してしまうのではないか!
  2. そして何よりAIや情報が、暴走したり悪意あるものによって乗っ取られたら、その影響は計り知れない。社会生活は大混乱、人の命にかかわることにも!

そもそもSociety5.0を構成する基本要素は、「IoT」「通信経路」「AI・ビッグデータであり、IoTで様々な情報を収集し、ビッグデータとしてAIにインプットし、その結果をフィードバックする仕組み。つまり、

  • IoTが暴走したら、あるいは乗っ取られたら、正確な情報を得ることができなくなる。
  • AIは認知(あるいは認識)が基本なので(AIは何もないところから創造・創作することはできない)、不正確な情報をインプットされたら、不適切な結果をフィードバックしてしまうしかも、利用者(つまり私たち)はAIが言うことを疑う術を持たない
  • 集約やフィードバックのための通信経路が盗聴されたら、機密情報や個人情報の流出の危険性がある。

ということ。

さらにブレインテックはもっと怖い。

考えただけでモノや機械を操作する技術…つまり「脳の見える化、人間そのものがIoTの一つになるようなもの。下手をすると人間はAI(あるいは身の回りにあるすべての家電、あるいはごく一部の悪意ある者)に常に監視され、知らないうちに操られてしまうのではないか

 

SFの世界が現実としてすぐそこまで来ているかのようです。

したがって、今以上に重要なポイントが〝セキュリティ〟です。

オンライン通販、キャッシュレス決済が当たり前の世の中。開発者や運営者は安心・安全のために日々奮闘していますが、それでもセキュリティ事故は後を絶ちません。

だからこそ、

便利な世の中になればなるほど、我々一人ひとりが〝使う/利用する〟ことに慎重に向き合う必要があると感じます。決して目に見えない何者かに〝使われる/利用される〟ことがないように

(ま)

〝LOVE〟のある〝TEAM〟

ずいぶん前ですが〝LOVE〟の語源を聞いたときの衝撃と感動は、今も忘れられません。

 L=Listen(聴く)

 O=Over Look(全体を見る・長い目で見る・存在を認める)

 V=Voice(声を掛ける)

 E=Excuse(赦す・許す)

これを聞いてしまうと、〝LOVE〟には単に惚れた腫れたではない、相手に対する深い思いやりが溢れているし、相手に対する責任、約束も伴なっているような、深ぁ~い意味が込められていて、軽々しくは使えないなぁ。

そんな中、池照佳代さんが著作「感情マネジメント」の中で、〝TEAM〟について書かれていました。

 T=Trust(信頼をつくる)

 E=Empathy(共感をつくる)

 A=Assertive(関係をつくる)

 M=Motivate(やる気をつくる)

これまたなんと的を得た表現(語呂合わせ)! 

〝TEAM〟とは、仲間が思いを一つにして、一つのゴール(目的)に向かって進んでいける集団だと思っているので、そのための必要な要素がすべて盛り込まれていました。〝LOVE〟に通じるようにも感じます。

 

そういえば以前読んだ「GRITやりぬく力」では〝GRIT〟を、

 G=Guts(困難なことに立ち向かう度胸)

 R=Resilience(失敗に負けず、乗り超える力)

 I=Initiative(自分で目標を見据える自発性)

 T=Tenacity(最後までやり遂げる執念)

と表現、いっぺんに好きになりましたよ。もう一つ好きな〝Resilience〟も含まれていることに感激。

つまり、〝LOVE〟のある〝TEAM〟には、〝GRIT〟が備わっている…ということなんだろうなぁ。

そこで私も考えてみた。

〝GRIT〟が備わっている〝LOVE〟のある〝TEAM〟には、きっと〝NEW〟〝STAGE〟が待っている

 

NEW

 NNext(次に向かって)、Nexus(強い絆で)

 EExcellent(卓越した)、Effort(努力を積み重ねて)

 WWing(みずからの翼で)、Way(道をきりひらいていくこと)

 

STAGE

 SSupreme(最高の)、Success(成功)…を得ることができる場所

 TTry(努力と挑戦によって)、True(本当の)、Trust(信頼)…を得ることができる場所

 AAmbition(熱望をもって)、Act(行動し)、Apex(頂点)…を得ることができる場所

 GGrit(やりぬく力で)、Great(偉大な)、Glee歓喜)…を得ることができる場所

 EEternal(永遠の)、Euphoria(幸福感)…を得ることができる場所

 

単語のニュアンスには自信がありませんが、なかなかの出来栄え!?  自画自賛

(ま)

文章力がない大人…どうしたもんか? 重要なのは指摘する側・される側〝双方が〟…

ブログで愚痴を言うのも嫌だけど、〝徒然素心ひとりごと〟なのでお許しを。

若手(ゆうても中堅)にアセスメントの報告書を書かせてみたら…、

  • 詰め込み過ぎて論理破綻、意味不明!
  • いろんな内容がごった煮、何を問題視しているのかわからない!
  • 簡潔に言えることでも、それっぽい専門用語を使うから、かえって難解に!
  • 私が指摘したことを、そのまま、その箇所だけ修正するから、前後で矛盾が生じる!
  • 固有名詞(組織名、名前、文書名など)が間違っている。誤字脱字が多い!

なぜ、自分の文書を読み返さないのかな?

なぜ、「わからない」ことを「わからない」と言えないのかな? 

あわよくばやり過ごせる…と思ってるのかな?

 

いずれにしても共通しているのは、体裁だけ整えようとして(それもできないまま)〝読み手(お客様)を意識していない〟ということ

そしてなにより厄介なのが、私の指摘の真意が伝わらないこと

 

「文書レビューを頼まれたら…チョット味付けを!」

でも触れたが、冒頭のような意味不明、論理破綻、難解、矛盾に溢れた文書は、レビューどころじゃないわけで…。

それでも1回目は〝伝わるだろう〟前提で指摘、2回目は〝2回目なんだからさすがにわかってほしい〟との期待込めて指摘、しかしさすがに3度目になると…。新人ならまだしも、いい大人に対して子供に言うようなことを言うのもアホらしいし、本人の能力向上、意識改革、人材育成をゼロから行う気にもならず…、何より納期厳守は絶対なので、さて、どうしたもんか?

日本漢字能力検定協会が実施した「企業における上司・部下間の文章のやり取りに関する意識調査」 

https://www.kanken.or.jp/bunshouken/topics/2021/post_63.html

によると、上司の84.5%が部下の文章にストレスを感じたことがあるとの事。

  1. 読み手が必要とする情報が欠けている・説明不足(1%)
  2. 適切な語彙・表現を選んでいない(5%)
  3. 文に無駄が多く長い(9%)
  4. 筋道立っていない(6%)
  5. 手直しに時間と手間がかかる(5%)

文章力のない上司も回答しているかもしれないが、概ね頷ける普遍的な内容だと感じる。

一方、上司からの文章アドバイスにストレスを感じたことがある部下は53.0%。

  1. 人によって指摘のポイントが異なる(2%)
  2. 何度も修正を指示される(9%)
  3. 良い文章の手本がない(6%)
  4. 上司の文章力が高いと思えない(1%)
  5. 修正後の方が良い文章と思えない(1%)

文章力のある部下が回答している可能性もあるが、ある特定の上司(先輩)に対する文句と見えてしまうのは、色眼鏡で見過ぎだろうか。

しかし、上司が部下の文章力を育成するために行っていることで最も多かったのがOJT(72.8%)というのも悲しい、情けない。結局、個人任せかい!?

ではどうするか? このブログを書きながら気づきました。

文章力向上のために、文章の構成、言語表現力、推敲力などをトレーニングする(させる)ことは大事。しかし、上司と部下も、先輩と後輩も、上下関係だけの繋がりだと、下の者は上の者の指摘が威圧的に感じるだろうし、上の者は下の者からの意見に生意気だと感じるかもしれない。

つまり指導やトレーニングの前に、ざっくばらんに会話ができる人間関係、信頼関係を築くことに〝双方が〟尽力することが大前提ではないでしょうか。

繰り返しますが、重要なのは〝双方が〟です。

(ま)

おじ散歩solo 〝もみじの天ぷら〟かじりながら…

所用で箕面へ。せっかくなので箕面大滝まで行ってみることに。いったい何年ぶりだろう? 40年?いや50年近いかな?

昔と同じように、もみじの天ぷらをかじりながらブラブラ歩きたい。駅前から「もみじの天ぷら」の店が軒をつらね、どこにしようか迷っていると、ニコニコと微笑みかけてくれたおばちゃんと目が合い、誘われたような気がして、ここに決定! 

 

久國紅仙堂…もしかしたら昔もここで買った?…などと思いながら、

「もみじの天ぷらって1年中あるんやね?」「秋だけって思われがちだけど、秋に収穫して1年以上漬け込んで、揚げる前には塩抜きして、結構、手間がかかってるのよ」

「店によって味とかちがうん?」「材料、漬け方、揚げ方とか、それぞれこだわりがあるからね」

「いろんな味付けがあるんやね、でもやっぱりプレーンかな」「はい、ありがとね、行ってらっしゃい」

さて、では出発。

おお、昆虫館ってまだあったんだ、かならず立ち寄ったなぁ。。もみじをポリポリ…。 懐かしい気持ちを抑えて先を急ぐことにしよう、ポリポリ…。

こんな急な坂もあったかなぁ、ポリポリ…。滝道を歩くこと40分ほどで大滝到着。

  

きれいな虹もお出迎え。

昔はここでお弁当を広げていると、野生の猿がやってきて、おにぎりやおやつを取られたもんだ。ちょっと凶暴な猿軍団は有名だったと思う。今は猿の気配は全くなし、いたらいたで怖いけど、いなくなったらなったで…、どこへ行ったのやら。

帰りは川の左岸のハイキングコースへ。

  

暖かな日差しの中、苔むした柵と、川のせせらぎを聞きながら、時間をぜいたくに使ったプチ散歩でした。

(おまけ)

箕面駅に近づくにつれ「箕面ビールあります」ののぼりがやたら目について、ふつうに吸い寄せられるわたし。

(ま)

仕事に対する「守破離」の今と昔 ひょっとすると私は若者を潰してるのかも…

まずは私の守破離から。

私の「守」:完全に真似。先輩や同僚、ときにはお客さんと接していて、「あっ、これいいな」と感じたらすぐパクります。考え方、生き方、レポートや報告書などのドキュメント、ドキュメントの構成、フォントや色合いまで、なんでもパクります。社会人生活は長いけど、実は今でもパクる姿勢は変わりません。

私の「破」:パクったものを自分のものにする…もっと言うと、自分のものと勘違いするまで何度でも使ってみることです。パクった「点」が、自分のオリジナリティ(試行錯誤と言い換えてもいい)の中に違和感なく溶け込んで「線」や「面」になっているなと感じたら、まずまずの出来。

そして私の「離」:相手(お客さんのことが多い)にとって〝もっといい方法はないか〟〝もっと分かり易い表現はできないか〟を念頭に手を加えるも、失敗を繰り返すこと、自己満足で終えないこと。すごく、立派なこと言ってるようですが、実際はあるお客さんに指摘されたことを、次のお客さんの時にシレっと頂戴していることも多々あり。もちろん自分の頭でも一生懸命に考えているつもりですが、そこはお客さんのほうが一枚上手、その都度、新たな指摘をいただき、新たな発見があります。

 

対して私が指導する立場で時々感じること(全員ではありません。年齢に関係なくこういう人に遭遇することが少なからずあるということです)。

相手の「守」:「点」の真似ではなく、丸ごと真似る。提案資料、報告書、フレームワークなど、ひどいときには固有名詞だけ変えて〝できた〟という。どうせパクるなら姿勢や思想までパクってほしい。どこに頭を使っているんだろう? できるだけ合理的に済ます方法だけを考えているんだろうか?

相手の「破」:そんなんでオリジナリティがない、柔軟性がない、応用が利かない。でも頭でっかちでなので口は立つ。

相手の「離」:そのことを指摘すると、自分の世界に籠る?

 

こんな時、わざわざ守破離を説くことはしませんが、ついつい「君のオリジナリティはどこにあんねん?」「君は何が伝えたいねんや?」「ちゃんと考えたんか?」などなどと言ってしまう。

 

コンサルタントに一番必要で大切だと思っていること…、バックグラウンドとしての技術力、分析力は大前提として、

  • 独自性…自分自身を表現する〝創造力〟と言い換えてもいい
  • センス…見た目の美しさ、わかり易さ。〝相手目線〟での発想、表現力と言い換えてもいい

これを伝えること、伝承すること、あわよくば育成すること…なんと難しいことか。

そもそもモノサシが違うのか? おっさんの私だから遠慮して言いたいことも言えないのか?

私は自分がすべて正しいとは思っていませんが、少なくともこれまでの経験から伝えたいことは(良いことも失敗したことも)普遍的な真理だと思っています。しかし、もはや相手には理解できないことを言う、うるさいおじさんなのかな? 

めげへんけどね!

(ま)

ずっとそばにいてほしい

なにかとギスギスした世の中、「やさしさ」にふれると〝ハッ!〟とする瞬間があります。忘れかけていた大切なことに気づかせてくれる、思い出させてくれるからでしょうか。

自分では気づかないうちに、いつのまにか身構えているというか、イライラしているというか、目に見えないなにか(誰か)と闘っているというか…、そして疲れる…、ギスギスしてたのは自分でした、イカン、イカン!

あらためて「やさしさ」って何でしょうか?

色々な考え方があり、意見もあるでしょうけど、私は、「心を込めて相手のことを考える、相手の気持ちを想い、寄り添う」ことではないかと考えています。

しかし、わたしなぞ、ついこのことを忘れてしまい、まさに俗人化してしまうことの繰り返しですわ。

ぼくは不安モグラは物知りキツネはずる賢いイメージがあるけど実は弱虫で寂しがり屋で寡黙馬は優しさと勇気、そして森は人生。私が感じたそれぞれの登場人物の姿です。…これらはすべてふつうの人なら多少なりとも持ち合わせている要素じゃありませんか。一人の中に併せ持っていては、なかなか気づけないことを、たまたま出会った相棒を自分の鏡として客観的に感じることができたからこそ、大切なメッセージを、たくさん発見できたんじゃないかな。

  • 「おおきくなったら、なにになりたい?」「やさしくなりたい」
  • 「成功するってどういうことかな?」「そりぁあ、だれかをすきになることだよ」
  • 「やさしくされるのをまつんじゃなくて、じぶんにやさしくなればいいのさ」
  • 「涙がでるのはきみが弱いからではない。強いからだ」
  • 「いつだって正直なのはおもしろいことさ」

などなど、どれも生きていく上で大切なこと。

 

ところで、

「なにかがおきたときにどうふるまうか。それこそが、オイラたちにあたえられているさいこうの自由ってもんさ」モグラがいう場面があるんですが、

同じようなことを言っている映画がありました。

「大抵の人は自分のことで精一杯、しかし自分を捧げれば報われる。嬉しいことに、その選択は自分でできる。私にも効く魔法だ」

アメリカ映画「ビューティフル・レターズ 綴られた言葉」の中のセリフです。

  • 何事にもバランスがあって、与えた分だけ受け取れる
  • 人生は鏡なんだ、周りの人によって映し出される
  • いいことだけに言葉を使うことにした

 

人は弱い、私はもっと弱い。

だからこれらの言葉は、ずっとそばにいてほしい。

(ま)